2017年08月 / 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Lancers.jp
--:--  |  スポンサー広告

2008.12.18 (Thu)

ユダヤ人の歴史、そしてその問題。

映画『アンネの日記』を見ていて、ひとつ気になったことがある。
「なぜそこまでユダヤ人が嫌われたのか」。



この問いはアドルフ・ヒットラーの出生の問題や当時のヴァイマール共和国が第一次世界大戦後に蒙った財政状況からの経済体制変化等が根本原因として今まで「ユダヤ迫害」という問題を起こしてきたと論じられてきた。しかし、この問題はある意味では歴史の必要悪であった彼( 彼の行動を肯定したのではない。少なくとも彼の登場によって、カール・シュミットが唱えた国家の危機を救う委任的独裁の形式でドイツ経済は立ち直り、多くの国民が悲惨な状況から抜け出したのは事実だからである。第一次世界大戦時の戦勝国がドイツを経済的に叩き潰したことを考えるとこの現実は当然歓迎してよい歴史である。問題は共和国憲法下の委任独裁権が主権的独裁権と変化し、彼に無制限の権力を与えたことによる。ここが重要な問題であって、ただナチスやヒットラーだけの責任に帰した形で問題を解決しようとする「逃げ」の姿勢は歴史と死者への冒涜である )の思想行動だけに責任を帰すことが出来るのであろうか。ユダヤ人はただナチスだけに迫害されたのではない。歴史上、ユダヤ人はずっと迫害されてきた。この歴史問題を解決しない限り、アンネの日記はただの「個人日記」になってしまう。迫害を受けてきた罪のない人々の魂を救うためにも、今回はユダヤ人の迫害の歴史を追いかけながら、常識論派や感情論派( 陰謀主義 )などの考えを出来るだけ排し、中立な態度でユダヤ人が何故迫害を受けなければならなかったのかを問い詰めたい。

Lancers.jp

【More・・・】

「ヨーロッパの偉大なる母国」であるローマ帝国の迫害によって離散の民となった( 個人的にはローマ帝国史を見る中で、ユダヤ迫害の原因の大部分はユダヤ民族本人にあると思う。ローマ帝国は多神教社会であったし、信教の自由はあった。ユダヤ民族は兵役の義務もその宗教観から免除されていた。ただ許されないのは、社会秩序を乱すことである。この原則をユダヤ民族がただ自ら侵しただけだ。勿論、ローマが派遣した行政長官の失政にも責任があると思う。 )ユダヤ人は、ユダヤ教保守派の生き残りを中心としていたためパリサイ人と呼ばれていた。「パリサイ」とはヘブライ語で「特別な者」という意味である。彼らはガリラヤやティベリアにサンヘドリン( ユダヤ長老議会 )を設置し、「新ユダヤ教」を信仰する共同生活を送り始めたが、今までに体験したことのない前代未聞の迫害に遭遇するようになる。プリニウスやネロ、ディオクレティアヌスは例をあげるまでもないであろう。

7世紀にムハンマドを指導者とする「新興宗教イスラム教」が誕生すると、それまでローマ帝国下のキリスト教によって圧迫を受けていたパレスチナ地方は、イスラム運動の支配下に入った。イスラム教によって民族的に目覚めたアラブ人により、イスラム帝国は急激な成長を遂げ、西アジアから北アフリカ、そして南ヨーロッパ一帯を版図とし、キリスト教圏と対峙した。しかし、当初、イスラム教徒は一部の例外もあるが、基本的にはユダヤ人を迫害し弾圧するということはなかった。なぜならば、アラブ人とユダヤ人はアブラハムの兄弟関係に当たるからである。そのため、アラブ人はユダヤ人を被保護民族と位置づけ、特別な人頭税を課す代わりに、その宗教と生活を保護した。そのため、ユダヤ人は本部をバビロンに置くことが出来た。このように、イスラム圏内の大多数のユダヤ人は、身分差別をされながらも、その共同体を保ったまま、安定した生活を送ることができたのである。しかも、中世イスラム社会では、ユダヤ教学最高の学者マイモニデスを一大頂点とした学術活動がなされ、ユダヤの思想文化面に輝かしい展開もみられたのである。だが、中世イスラム社会とは対照的に、中世ヨーロッパ社会においては、古くからユダヤ人を嫌悪する差別感情が定着していたため、ユダヤ人の職業は制限されていた。1078年にローマ教皇グレゴリウス7世がユダヤ人に対し「公職追放令」を発令すると、全ての職業組合からユダヤ人が締め出された。キリスト教は、他人にカネを貸して利息を取ることは罪悪であると考えていた。ところが、ユダヤ教は『タルムード』の中で異邦人から利子を取ることを許していたので、ユダヤ人は古くから自由に高利貸業を営むことができた。そのため公職追放令が発令されるとユダヤ人はキリスト教徒には禁止されていた金融業に喜々として手を染めていったのである。「カネに汚い高利貸し」というイメージがユダヤ人に定着したのはこの頃からだと言われている。

11世紀に「イスラム東方世界」が分裂すると、それまでユダヤ人に対して穏健であったイスラム政権は、ユダヤ首長を追放。これによりバビロンのサンヘドリン本部は陥落してしまった。そのため、彼らは本部をヴェニスに移動した。ヴェニスはユダヤ商人の活躍により、地中海貿易最大の港町へと発展していった。ローマ教皇の指導により、異教徒イスラム勢力討伐のための十字軍遠征活動が開始されると、イスラム社会はキリスト教徒によってかき乱された。しかし、真っ先に血祭りの対象になったのはユダヤ人であった。ユダヤ人は悪魔がキリスト教国とその信徒を抹殺するために送り込まれた“悪魔の集団”とみなされていたのである。結局、十字軍遠征活動は聖地エルサレムを奪回するという第一目標を果たせなかったのみならず、ヴェニスの商人の策略によってキリスト教徒同士( カソリック&東方正教会 )が討ち合うという有名な悲劇的大事件( コンスタンチノープル攻略事件 )を招き、キリスト教史に非常に深い傷跡を残してしまった。十字軍遠征活動に代表されるように、キリスト教の修道士や騎士階級が異教徒征伐政策を正当化するにつれて、ユダヤ人に対する迫害は露骨になっていった。13世紀にローマ教会が「異端審問制度」を確立すると、ローマ教会の横暴さは頂点に達した。

紀元1世紀前後に、古代ローマ帝国に迫害されたオリジナル・ユダヤ人の多くはスペインに移住していたが、このイスラム勢力下にあったスペインが、15世紀にキリスト教勢力に支配されると、スペインの地にいたユダヤ人は全て国外追放されてしまった。この事件以前にも、ユダヤ人はイギリスやフランスから追放されたことはあったが、スペインのそれは徹底的なものであった。この時、スペインから追放された大量の東洋系ユダヤ人たちは「スファラディ系ユダヤ人」と呼ばれ、東欧圏で生活していた白人系ユダヤ人とは区別されている。ユダヤ人を追放しなかったキリスト教国でも、イエスを殺害した民族という偏見から、ユダヤ人は抑圧対象とされた。中でも「ユダヤ人集団隔離居住区(ゲットー)」の誕生はその典型である。ゲットーは1554年にヴェネチアに初めて設置されたもので、ローマ教皇パウルス4世がユダヤ人にゲットーへの居住を強制すると、またたくまに世界各地へ広まった。ゲットー内ではシナゴーグや学校が設置され、ユダヤ人の高い教育水準と宗教文化が保たれることになったが、ユダヤ人に対する差別政策は完全に制度化してしまったのである。

こう考えるとユダヤ人に対する迫害というのは長年の偏見というものの集積物だとわかる。ローマ帝国内での護教家達の失敗・十字軍戦争での商人達の生存をかけた戦い・金融業の成功、それら全てがユダヤの虚像、潜在的な恐怖心を作り上げた。これがヒットラーだけではなく、西洋社会を狂気の沙汰に落としこめた潜在的理由の様に思われる。

どうだろうか?







スポンサーサイト
02:28  |  【 こんな映画をみました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

Comment

コメントを投稿する

Url
Comment
Pass  編集・削除するのに必要
Secret  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://umemotodaisuke.blog54.fc2.com/tb.php/86-0e5df1ce

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。