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2008.12.11 (Thu)

青の性、そして法と法律と道徳と。

「青の性裁判」という事件があります。憲法論争にまで発展した刑事事件です。昭和60年10月23日に最高裁大法廷が青少年保護条例の処罰規定にはじめて合憲の判断を下したものでした。この事件そのものは何であったかというと、福岡県に住んでいた30歳の男性が知り合いの16歳の女子高生と性的関係をもち、当初、小倉簡易裁判所が罰金5万円の有罪判決を下しましたが(二審の福岡高等裁判所)、この男性は判決を不服とし、控訴し続け、最高裁まで至ったということです。

男性は(1)本来自由である性行為を青少年保護という面から制約する場合は必要最小限度でなければならないのに処罰規定は極めてあいまいで罪刑法定主義を定めた憲法二十一条に違反する、(2)各都道府県の処罰規定・罰則はばらばらであり法の下の平等の同十四条に違反する、(3)刑法や児童福祉法などで不処罰の行為まで規制するのは法律の範囲内での条例制定を求めた同九十四条に違反する、という主張を繰り広げました。
僕は法律の専門家ではありませんが、法律の論理展開ならば筋が通っている主張なのかもしれません。

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しかしながら、最高裁はこの主張を一切認めませんでした。その判決は「一般に青少年は心身の未成熟から精神的に十分に安定せず、性行為による精神的な痛手を受けやすく、その痛手からの回復が困難となりがちな青少年の健全育成を図るため」と明快に述べ、「その育成を阻害する恐れのあるものとして、社会通念上、非難を受けるべき性行為を禁止すること」と規定しました。

この事件を再考する機会があり、事件全体を追っていると思うことが2つありました。それは『法と法律の不均衡』という問題と『社会通念という道徳観の均一』という問題です。自我の主張が激しくなった現代は、マスコミを通じてゲームとしての法律論争が繰り広げられ、勝てば官軍というものが絶対視されている社会風潮であるような気がします。しかしながら、法律というものは絶対ではないはずです。解釈は使うその法律を扱う人間によって様々ですし、改正というものは必要があればいつでもできる。現代ではそのことがあまり認識されていないような気がします。法というものを無視しているわけではないのです。人間が集団となった以上、法治というものが最も公正たる手段となります。国家においてもそうです。異民族・異文化・異宗教が混在する現代、どのような利権衝突・思想衝突を起こさせないための道具が法であり、その運用は絶体なものでなければなりません。しかし、それはあくまでも道具であり、現在の日本のように思想を形骸化させ、言葉というものを玩具のように扱う状況では、『法と法律の不均衡』と『社会通念という道徳観の均一』という問題を論ずる資格はないでしょう。その意味では、『ゴースト(魂)』を持った上での僕たち日本人の社会通念とはいかなるものかを議論し、その再興に努めなければならないのでしないでしょうか。

最高裁が法の上に社会通念という道徳を置いたのは、この意味では正しい判断であったと思います。統治というものは、人治のみでも法治のみでもいけません。結局はそのバランスなんだと思います。では、そのバランスというものは何か。それは僕たち日本人独自の先祖代々受け継いできた日本精神というものではないでしょうか。







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