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2008.12.07 (Sun)

なぜNPOは期待されるのか。

サラモンによれば、NPOの定義は1)制度的形式性、2)非政府性、3)独立性、4)非営利性、5)ボランタリー性の5条件を満たす必要性があるという。

この条件を前提にしながら、営利企業と政府、NPOの三者の違いを考えてみたい。

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営利企業の場合、その経営者は利潤最大化を判断原則とし、最終的に得られた利潤を株主に再配分する義務を有している。NPOには、そのような残余財産を再配分請求する構成員は存在しない。逆にいえば、営利企業の場合には、かりに寄付金を受け取った場合、利潤に転換し、株主が受け取ることもありえるが、NPOにはそうした問題は存在しない。

NPOの経営者は組織の存続のために一定の利潤を維持するという制約の下で社会目的の実現や財・サービスの質向上のために努力を行う。社会目的の実現は、具体的にはNPOが供給する財やサービスの高い質の維持として表れることになる。

NPOは、営利企業に比べて質の向上に多くの資源を配分することが可能である。この結果、消費者と生産者の間で情報の非対称性のある財やサービスの供給に関して営利企業に対し比較優位を得ることが可能になる。NPOは、販売目的のために価格を低下させたり、質を低下させる必要はない。これに対して、営利企業の場合には、費用削減のために消費者からは観察されない品質切り下げを行いがちである。つまり、NPOは情報の非対称性が存在するために消費者が収奪されやすい分野でNPOは優位性をもっているといえる。

日本の企業は、経営者の株主からの独立性が強く、企業の従業員が企業に特有の人的資本の形成を行っている。さらに企業への忠誠や信用、義務が強い。森嶋通夫が「日本のエトス」と呼ぶ規範に基づく集団志向型の行動は、個人の自己利益中心の行動からかなり隔離している。戦後の日本では若い従業員は、企業に特有な資本形成のために投資を行ってきた。その投資の報酬は年をとってから受け取るという仕組みになっていた。仮に、従業員が生涯を通じて低賃金しか受け取ることが出来ず、経営者または株主によって投資の収益を収奪されるリスクが大きい場合には、組織に特有の人的資本に投資する従業員にとって利潤最大化を第一の目標とする営利企業ではなく、NPOの方が望ましいということになる。

企業を主体とする市場の失敗や所得の不平等が生じたとしても、それを補うひとつの有力な方法は、政府による市場介入や政府による行政サービスの提供であった。たとえば、政府の税制は、負の外部性による非効率が存在する場合にはいわゆるピグー税を課すことによってそれを取り除くことができるし、現存の累進課税や再配分政策は少なからず所得の再配分に役立っている。また、政府の企業活動への直接的な介入も、場合によっては市場の非効率を解消することも少なくない。たとえば独占禁止法にもとづく企業活動の規制は独占の弊害を取り除くことに役立つし、電気・ガスなど公益企業の存在は規模の経済性が生み出す自然独占の問題を回避することに貢献している。しかしながら、市場の失敗や所得の不平等を、すべて政府による市場介入などで解決しようとすることには無理がある。なぜなら、個々の政府の活動それぞれには意味があることは事実としても、それをすべて政府によって実行しようとすれば政府の規模は無制限に肥大化し、それによって新たな弊害が生じかねないからである。実際、今日の日本ではすでに政府の規模は十分肥大化してしまっており(機能・権限の集権と分権のバランス感が喪失されている気がする)、その活動のなかには、効率的とは言いがたい公共事業が存在することや、逆に効率的な市場活動を阻害していることがあることは否定できない。だからこそ、政府機能の代行組織として、補完機能としてNPOが存在する。また、政府の施策には政治的理由から「偏向」が生じる可能性もあり、政府サービスの供給からはじきだされた人間を救い出す役割をNPOは担っている。

NPOの経営という点に焦点をあてれば、その資金調達においても、企業や政府と趣きをかえる。NPOの経営において「寄付」というものがひとつのキーワードであると思われるが、アメリカにおいても、日本においても、NPOに対する寄付が収入のなかで占める割合は小さく、NPOが掲げるミッションや活動の実現、受益者に与える効果は限定的である。しかし、いかに少額であるにしても、人々が寄付や公共財の供給財においてただ乗り行動をとらず、規範的な行動をとるところにNPOの特質があるといえる。

しかし、NPOが万能であるかといえば、それも幻想にすぎない。

NPOのガバナンスには、経営者が最も効率的に組織を運用するという誘引をもたないという大きな問題がある。営利企業のように所有権の市場取引が存在しないためにNPOの経営者を規律付けることに失敗させてしまう可能性もある。このようなジレンマをあわせもっていることも忘れてはならない。「NPOの失敗」は確実に存在するのだ。

だが、そのような「失敗」が宿命づけられているNPOも、マックス・ウェーバーが資本主義の成立にあって抱いた「(プロテスタントの倫理が資本主義の精神を形成するのに重要な役割を果たしたが、資本主義の秩序が一度軌道に乗った後では)圧倒的な力をもって、その機構の中に入り込んでくる一切の諸個人の生活スタイルを決定しており、恐らく将来も化石化した燃料の最期の一片が燃え尽きるまで決定し続けるだろう。・・・こうした文化発展の最期に表れる“ 末人”たちにとっては、次の言葉が真理になるのではないか。“精神のない専門人、心情のない享楽人、この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階まですでに上り詰めた。と自惚れるだろう”と。」という危機意識を打破し、ルネッサンスを再興できる仕掛けは、NPOの登場をもって適切にサービスが供給され再編成された経済世界なのだと私は確信している。
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22:44  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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