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2008.12.07 (Sun)

桜の話。

以前、書いた日記なのですが、ブログの記事をmixiから移行しているなかで、季節外れの記事ではありますが、どうしてもみなさんに聞いていただきたく、また皆さんがもっと桜を愛でるきっかけなればと思い、再度掲載することにしました。
福岡で生まれ育ったボクにはとっても大事な大事な、「花守り」の物語です。




市長殿
   花あわれ
   せめてはあと二旬
   ついの開花を
   ゆるし給え


あるひとりのサラリーマンが、通勤の途中で一本の桜の樹が道路拡張工事のために伐採されているのを発見した。あと少しで花開く季節だった。

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美しく咲くであろう桜が「公共工事」という名において、無残に切り倒されていく。花を愛するひとりとしてその光景をもうこれ以上見たくはない、そんな気持ちで歌を短冊に詠んで書き、誰にも気づかれないように、残る桜の樹々に吊るした。自分ひとりで公共事業をどうにかすることはできないが、せめてこの気持ちだけは市政のトップに伝えたい。彼たったひとりでの最大限のアピールだった。

幸運なことに、この短冊に気づいた地元新聞社の記者が、すぐ記事として取り上げた。たちまち同じように、花を愛する他の市民たちも短冊に歌を詠み、樹々に吊るしていった。しかし、工事が止まる向きは全くない。そんな時、数増えていく短冊の中にひとつだけ最初のサラリーマンが読んだ歌に対して返歌したものが、誰にも気付かれないうちに吊るされていた。


   桜花惜しむ
   大和心の
   うるわしさ
   とわに匂わん
   花の心は


詠み人は「香瑞麻」。

当時の市長の雅号であった。サラリーマンの桜を愛する気持ちが、同じ日本人として痛いほどによく分かる市長であったが、既に計画決定された事業を簡単に取り消すことはできない。その桜を想う気持ちへの謝意と苦しさを込めた歌であった。だが、市長と市職員は最後まであきらめずに計画見直しに向けて密かに動いていた。何があっても公務の期限と予算の範囲はしっかりと遵守するべきものである、と今まで認識していた市職員たちも、花を愛する気持ちでは市民たちと同じであったのである。結果、工事は一部変更となり、該当区域の残りの桜はすべて保存され、整備された。今では市民たちの手によって桜は大切に守られている。誰ともない、ただ花を愛するものたちによって。

当時の市長は進藤一馬氏。二十二年前、未だ「バブル」という時代の中にあった福岡県福岡市のあるバス停近くのちょっとした桜並木で起こった話しである。

桜が花開く季節になる度に、また花開いた桜を見る度に、この話を思い出し、「桜と日本人」という関係に想いをはせる。桜はわが国の民俗学を開拓した折口信夫氏が主張するように、稲作文化の到来の頃から日本人と深く関わってきたことが指摘されており、「古事記」に出てくるサクラという言葉の語源となった木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の存在は、その神話の元となった富士山だけでなく、伊勢や浅間、甲府などの各地で祭神として崇められている。事実上の国花として古くから日本人に大変親しまれてきた花であった。

現在では、江戸末期にオオシマザクラとエドヒガンザクラを交配して作られた世界最初の人為交雑種である、ソメイヨシノが日本の桜の八割程を占めており、桜の代名詞となっている。葉が出揃う前に花開き、静寂の中で散っていくという美麗性と生命性に日本人は自らの人生観を重ね合わせ、愛でてきたのだろう。

だが、そのように日本人が古くから愛でてきた桜は今や危機に瀕している。正確にいえば、ソメイヨシノが、であるが。ソメイヨシノは、その寿命が六十年から九十年と言われている。そして、現在のソメイヨシノの大半は、昭和天皇の即位を記念して植えられたものと、何もかもが焼け野原になった戦後に植えられたものが主流なのである。つまり、戦後六十年という時代の流れと並行して、現代のソメイヨシノの寿命はいま尽きかけようとしていると言っても過言ではない。追い討ちをかけるように、ソメイヨシノは接木によって苗木が作られてきたため、古くから日本列島に咲いていた他の自然種の桜と比べると、大変弱い樹なのである。ある意味においては、クローンの連続であったと言えるのだろう。<

これは、現代日本人と似ていなくもない。姿かたちは、先人たちと同じでありながら、その自分の拠ってたつ思想や精神の強さというものを失いかけている現代日本人はクローン桜とどこかで似ていないだろうか。ソメイヨシノのように、我々現代日本人も滅びの鎮魂歌を口ずさみ始めているのだろうか。先人たちが現代の繁栄を築く上で、手に入れたものは多くあるが、それを継承しただけの我々現代日本人は手にしていないもの、無くしてしまったものがあるのではないだろうか。

桜を愛し、桜と共に生きていく。それはまぎれもない日本人の姿だ。

桜を守り、桜を残していく。そして、新しい桜を植えていく。それが、我々現代日本人の「花守り」としての役目ではないだろうか。その時、我々現代日本人の心の中にも「旧き新しい桜」を植えることができるのだろうか。少なくとも、桜を愛ずることさえやめてしまえば、我々は日本人ではなくなってしまうはずだ。それは「クニ」を無くしてしまうことと同じことなのだと確信している。
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22:36  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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