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2008.12.07 (Sun)

官僚制は崩壊するのか。

現代社会では官僚組織の役割というものは小さくなっていくことは間違いありませんが、しかしながら、民主主義下の国家においてその必要性はなくならない、と思います。
そのうえで現代日本の官僚制改革に必要なことは、その機能・役割を再編成し、効果的な制度の再構築を実行することなのだと思います。

現代の相次ぐ改革の中で官僚制というものは、新たな市民パワーの勃興の前にその重要性を次第に減少することを要求されていますが、どのような形にしろ国家という枠組みと民主主義という制度設計の下においてこのシステムは存続していくでしょう。
それは、市場優先を前提とする開発理論でさえ、その行動選択の前提において国家の社会保障としての機能を必要とするからです。新興の民主主義国家に市場原理主義を導入しようとしている民主主義が確立されている国家ほどこの体制が構築されている事実を目の当たりに出来ます。
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しかしながら、民主主義の発展と官僚組織の構築が両輪のごとく国家の歴史において進行してきたにもかかわらず、なぜこれら先進国は新興の民主主義国家に対しそのような現実と矛盾する行為をとるのでしょうか。
それは民主主義の発展段階の相違が要求する混乱がなさしめるのでしょう。

これら現代の民主主義の発展ベクトルは、ウェーバーが危惧した資本主義的政治経済組織の限界という問題を解決できるのでしょうか。だがともかく、市民が新たな政治権利の獲得を要求することは、少なくとも現状よりはその運営が安価にすみ、効率性の高い組織への改革という流れは疑いようもない現実です。矛盾するようですが、そのような市民社会を築く上でも国家の社会に対する安全保障能力や官僚による行政システムは必要なのだと思います。
そうなれば、わたしたちは官僚制の進展が民主主義の確立への必要不可欠なものとして存続していくことを信用するしかないのではないでしょうか。

民主主義の発展過程においても、今後の政治制度の構築においても、国家という枠組みの中で官僚制というものは存続が必要され続けるのでしょう。なぜなら、社会基盤の構築は国家という枠組みが存在する以上、その秩序調和の担当者として官僚組織が必要だからです。

社会が共和体である以上、主権者である市民個人にその能力は存在しえません。他者を指導するエリートの周流において個人の存在が重要視されるとはいえ、国家の支配権の成立の前提にはある程度組織化された集団が必要であり、これらを一統のもと管理下したものが官僚制ですから、大部分の市民は彼らに依存せざるをえないのだと思います。

勿論、市民個人の自立性のみに焦点をあてられた民主化と世界的な市場経済の拡大は、国家のあり方や官僚制の正統性を揺るがし、その機能低下を声高に要求していることは事実です。新自由主義が勝者の立場にいる現在、それは正当のように思われています。

なにもその様な態度が個人に信を置きすぎるために社会全体の道徳的退廃・協調性崩壊をもたらすなどとは思いませんが、個人と市場原理の万能視は、市場そのものの社会的な基盤というものへの認識を全く欠いているように思われます。
だからこそ、開発市場理論においてその最低限の調整役として官僚制や国家の権力・権威というものが必要とされるのだと思います。

その視点にたった時、民主化と官僚制の関係発展はまったく妥当であるように思えるのです。ですが、信頼性ある統治組織を維持するためには、官僚制もまた変革という不断の努力が必要であることは間違いありません。

現在の日本の官僚制の現状を見回しても、国益・国民益双方に一致しているかといえば、多くの疑問を呈せざるをえません。それはみなさん、よくおわかりだと思います。
連日、必ずと言ってよいほど官僚組織の汚職事件がマスコミによって報道される現実をみれば、当然といえるでしょう。

では、官僚組織の何を変えなければならないのか。
ただ構成員の人数を削減するだけ、組織の権限を取り上げ市民や地方政府に権能を譲るだけでは何も問題が解決しない、ということを前提として主張しておきたいと思います。
そのような一先ず目の前の現実を押しやるだけのような形だけの改革では、「信頼性」は保てません。

勿論、表層的な改革手法として、犯罪に手を染めた個人の取り締まりや財政負担が膨張し過ぎた組織の一部を改廃することは必要です。それは具体的にいえば、国家が権威を再構築するための官僚組織の権限分散や効率化および国家全体の統治方式を見直す「省庁再編」や「道州制の導入」または「(首都としての)国会等の移転」、公共部門のサービス改革を目指す「危機管理への意識と能力向上」と「透明性ある情報公開」などがあげられると思います。

ですが、それは組織全体の再構築であり、現在なされているような官僚個人への批判や放逐そのものを意味しているのではありません。つまり、官僚制だけでなく国家全体を、如何に新時代を切り拓いていけるものに変革させるかという認識にたつことであり、それには国民一体となった「意識の共有」という民主主義にとって最も重要な政治改革が必要とされるのではないのでしょうか。
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