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2008.02.20 (Wed)

手塚治虫、そして魂が宿った。





手塚治虫の『メトロポリス』を再現した作品をみました。

本作は手塚の思想をそのまま表現したとはいえない。
勿論、このメトロポリスそのものは49年に手塚が発表したマンガであり(なお『ロストワールド』『来るべき世界』とともに「初期SF三部作」の一つと言われている)、その作品のベースは置かれているが、本作が制作されたのが手塚の死後ということでもあり、監督にりんたろう、脚本に大友克洋を迎えての手塚に対するオマージュともいえる作品である。

制作時のコンセプトは「オリジナルのストーリーにとらわれることなく大胆に解体・再構成して、より手塚治虫的な世界を抽出」することにあったが、手塚がその才能に嫉妬したと告白した大友克洋の脚本という色の方が強く主張されているように思われる。

だが、この手塚の原作そのものも、ある海外映画の影響を受けて作られたことは周知の事実である。1926年にフリッツ・ラングが監督した「メトロポリス」である。無声映画最後の大作といってよいこの作品は、激動期にあるドイツの中でユダヤ人たるラングが、独裁権力や人心の荒廃に危惧を覚えていたことを警告したという意味でも、興業的には当時大失敗したとはいえその限りない独創性ばかりでなく、思想的意義として歴史的に高く評価されてよいと思われる作品である(一般観客として作品を鑑賞していたヒットラーは大変感動し、彼が政権をとった後、ラングの妻であり脚本家であったテア・フォン・ハルボウをナチス党員にし、ナチスの宣伝映画の制作を担当させた)。

この作品に対して、後日手塚がコメントを残している記録がある。
「・・・実際、資本家・特権階級と労働者階級とが、結局、愛で結ばれるという結末は、なんとしても安易過ぎ、それまでのさまざまな問題提起を一度にだめにしてしまう失点だったと言わざるを得ない。」

この発言は、原作や本作でどのように描かれ、手塚がどのような思想を志向していたのかを考える上では重要なコメントである。


ロボットの定義とは
1)ある程度自律的に何らかの自動作業を行う機械、
2)人に近い形および機能を持つ機械
であるとWikipediaは説明する。

そもそも、ロボットという言葉はチェコの小説家カレル・チャペックが書いた戯曲「R.U.R.」(1920)の中で使用されたのがはじまり(命名者は兄で画家であったヨゼフ・チャペック)で、それは「強制労働」を意味していた。

この後、40年代に欧米社会では重要な理論が発表されることになる。それは「ロボットが本来持つ本能」というものの定義で、SF作家アイザック・アジモフによって決められた「ロボット三原則」である。

それは以下のようなもので構成される。
1)ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。(A robot may not harm a human being, or, through inaction, allow a human being to come to harm.)
2)ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。(A robot must obey the orders given to it by the human beings, except where such orders would conflict with the First Law.)
3)ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。(A robot must protect its own existence, as long as such protection does not conflict the First or Second Law.)

これらの思考はどこから派生しているのか。多神教を国策として捨ててしまったローマ帝国以後の西洋社会に蔓延した唯一神信仰・キリスト教的世界観に他ならないであろう。

だが、このような考え方を変化させつつある、として日本アニメは大変な注目を浴びている。

手塚自身の「鉄腕アトム」もそうであるし、ドラえもんをはじめとする国産ロボットアニメが普及するや、その世界観や人格の設定に世界に衝撃をあたえた。

そもそも日本が2700年間磨き続けてきた精神性は、万物共生主義であり、どのような存在にも等価等質等量の命を認める。神もまた正義の絶対神ではなく、時には怨霊でもあり、時には幸神でもあるという多様性を見せる。いわしや天ぷら、牛の鼻輪などでさえも、神として祀る民族である。道端に咲いている草花にも命が宿ると考えたのは当然であろう。ロボットという問題と関連付けるならば、雛人形や日本人形、藁人形、人型などへの「依代思想」は発展し続ける科学にある程度の倫理性を付与させる抑止として日本では機能していたのではないだろうか。

ここにおいて、西洋社会と日本社会の「人間とはなにか、生命とは何を指すのか」という討論の議題があがると思うのである。

しかしながら、悲しいことにこのような精神性をもって世界をリードするべき日本のリーディング・カンパニーであるソニーはその自社ロボット製品に対して、先ほどのロボット三原則を応用してロボットの「人格規定」をなしている。

1)ロボットは人間に危害を加えてはならない。自分に危害を加えようとしている人間から逃げる事は出来るが反撃してはならない。
2)ロボットは原則として人間に対して注意と愛情を向けるが、ときに反抗的な態度をとる事も許される。
3) ロボットは原則として人間の愚痴を辛抱強く聞くが、時には憎まれ口を利く事も許される。
(出典:ソニー 「Three principle of robotics ・AIBOversion」より)

ロボットの原則を「ロボットが守るべき規則、ではない」という意見があるが、規則にしろ本能にしろ、それを創り、与えている「人間」の傲慢さはひとつの欠片もないのかと問いたい。

本作の中で「人権を侵害するから、ロボットには名を与えない」という台詞や「与えた職務機能によって、行動領域を制限する」という状況の説明がされているが、それらは地球に生息する生物に対して人類が万乗の君であるという傲慢な意識を促してはいないだろうか。


本作において、その「都市像」や「社会構造」の捉え方も非常に重要なポイントである。

科学技術の粋を結集して造られた富裕者層が住む地上世界と、スラム化しロボットが歩き回る地下世界は、あきらかに現代社会の都市フォーマルとインフォーマルを描いている。

トダロ・モデル(期待賃金によって適格労働力の動向が左右され、経済構造の3部門間の調整によって経済成長が展開される、という開発経済学の1理論)では開発途上国の方がインフォーマル部門(スラム街など)が大きく先進国ほどその規模が小さいと説明されるが、都市化が進んでいる国の方が経済成長率が高いとはいえ、内包しているインフォーマル部門の根源的問題は一層深刻化しているのではないか、ということを本作では訴えているように思えてならない。

またロボットという存在によって生活保障を奪われた人々の存在は、今後の日本の姿を想像できて面白い。高度経済成長を支えてきた産業ロボットなどではなくて、将来本当に人型ロボットと共生する時代が到来して、そのような問題が起きるのかもしれないし、直近で予想されることといえば、あのロボットを外人労働者ともみなせるのではないだろうか。

日本はぺティー・クラークの法則のように産業変化したのではなく、第2次・第3次共に成長し、インフォーマル部門を上手く社会が吸い上げ、労働力の二重構造も比較的世界諸外国と比べれば混乱なく経済成長出来てきた(勿論、横山源之助が「日本の下層社会」(1899)で書いたように、明治期においてはその人口流動からインフォーマル部門が急激に展開されたし、1925~60年の間にも種々の理由で二重構造の拡大が連続化されたのは歴史的事実である)わけであるけれども、構造(規制)改革下で社会変化をもたらしている現在、このような問題設定は大変意義深いように思える。

少なくとも、戦後すぐにこのような問題性を作品の中に取り込んでいた手塚はやはり天才であるのだろう。



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