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2015.06.06 (Sat)

『台湾教育基本法』の意義に関する再検討  -日本の占領期民主化との比較をふまえて-

1. 台湾の民主化と教育

台湾の民主化は、長期政権を樹立していた国民党・蒋経国政権期からその萌芽がすでに散見されていた。

1970年代の国際外交における力学変化をはじめとして、台澎金馬内における台湾ナショナリズム確立に向けた国民党外からの政治的発言の増大は、中華民国という定義をすでに揺るがしており、蒋経国は漸次「民主化」を進めていかなければならなかった。

80年代後半における国民党外に対する政治的権利の解放は、「台湾」という共同体の意義をさらに高め、彼の政権期に準備されたその民主化の動きは、遂に台湾本島出身者である李登輝による政権継承によって実現されていくことになるのである。

つまり、1972年の中華人民共和国を中心とする国際外交における政治力学の変化がもたらした台湾への内部改革要求は、その政治的必然性から、国民党に民主化の準備をすすめさせざるを得ず、そしてその改革を「台湾人」が助長・結実化させていく過程こそが、90年代における台湾の民主化の特徴であった。

台湾を代表する農業経済学者から統治者たる政治家の道を歩んだ李登輝は、その道程を表現する際に自らを「蒋経国学校の生徒」と称する。

動員戡乱時期臨時条項の廃止、立法院委員の改選、総統民選の実現は、歴史的には蒋経国の政治的事跡の延長にあったことを見逃してはならない。

しかしながら、歴史教科書『認識台湾』が示すように、李登輝政権のその独自性は、民主化を国民党内改革の作用として止めるのではなく、台澎金馬の住民に「台湾」の国民としての自己認識を再考させる精神革命にまで昇華させたことにあった。

総統民選はその改革の象徴であり、silent revolutionたる台湾の内部改革は、まさに中華民国の政体革命であったのではないだろうか。そのような観点にたてば、この民主化期の教育改革の内容に、「新しい国民」への変化を促す「台湾化」の理念の根本を見出さなければならない。

これまでその分析には、歴史教科書における変化を指摘する論調が主に注目されてきた。

だがしかし、民主化が台湾政治・政体の構造改革であったのならば、その教育の基本構造がどのように変化したのか、その行政法構造の変化に注目しなければ、台湾の民主化期の特徴を捉えることはできないだろう。


2. 台湾教育基本法の制定過程

蒋経国総統期までの国民党政権を考察すれば、その政権の特徴は戒厳令体制に集約されている。

中華民国憲法が護る人民の自由権は、その第22条の規定における中華民国の社会秩序の維持を侵害しない限り、戒厳令の許容範囲で保障された。

当然、その体制下では同21条で規定する教育権は一定の制約を受けるため、民主主義の発展に欠くべからざる学問の自由が保全されていたとは言いがたい。

そして、民主化が求められるなかで、この教育権や学問の自由などの教育に関する諸権利の擁護尊重を民主主義国家の基本法で整えたいとの要求が、政治改革運動として注目されていく。

台湾教育基本法の制定過程は、宋峻杰「台湾における教育権の憲法学的考察」(『北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナル』13,p.135-169,2007年。)に詳しいが、その運動の要点をまとめれば、大学自治運動の発展から教育行政改革要求へと至り、教育基本法制定運動へと発展していった運動の歴史であった。

その中心は学生運動であった。

1986年の台湾大学内の学生運動「自由の愛」運動を契機とし、1993年には立法院で野党・民主進歩党によって教育基本法案が提出され、長い政治交渉により1999年に教育基本法が制定された。

1993年に民主進歩党所属の立法院委員・顔錦福によって提出された教育基本法案は、日本やドイツの教育基本法をその法案の原形とした。

この法案は立法院で審議が進むことはなかったが、この時期には市民による教育改革要求デモが社会的に大きな政治的圧力に成長しつつあった(410教育改革運動)。

政権与党である国民党もこの改革要求に応えざるを得ず、教育基本法制定の方向性を審議するために、日本の臨時教育審議会をモデルとして行政院教育改革審議委員会を設置している。

また、1996年には教育部内の教育研究委員会が教育基本法案の起草準備を開始し、その後、この法案を中心に立法院で議論が進められていくこととなった。

1999年6月23日、李登輝の名によって教育基本法が遂に公布され、10年におよぶ教育改革運動は民主化の時期と重なりながら、台湾の教育基本法体制を整えたのである。

憲法下における関連諸法の根拠となる最高法令として基本法体制を整備することによって、中華民国憲法の解釈では権利保障に懸念のある部分を補完する法的構造の設計は、台湾の民主化において重要な改革であったと考える。

以党治国をもって、中華民国ナショナリズムを台澎金馬の住民に徹底する国民党政権の政策は、教育においても同様であり、その統治に関する基本構造を転換せしめるという点において、台湾民主化過程における教育基本法の意義とは、つまり政体構造の変革以外の何ものでもなかったのではないだろうか。

しかし、それでは、その民主化の具体化として、なぜ日本の教育基本法が改革モデルのひとつとなったのか、その意味を次節で検討したい。


3.  次代の国家主権者を保護する「教育を受ける権利」

周知の通り、日本の戦後教育は、教育基本法を中心としてその戦後民主主義的教育観というものを教育の在り方の基底に置き、再構築した。

それは、日本国憲法第26条で保障された、個人のその能力に応じてひとしく教育を受ける権利が、教育の基本を確立するために制定された教育基本法においてすべての国民子女に解放されたものであったともといえよう。

この場合、法律主義をもってその意志を実現する主権を有する国民を育成するために、教育の機会均等を実現したといえる。

敗戦前においては男女別に教育機会の開放が制限されていたこともあり、この改革によって、戦後民主主義的平等の概念の形成が教育の側面においても求められたことが分かる。

だが決して教育の目的に民族的自主性というものを放棄したのではなく、「平和な国家及び社会の形成者」として独善的な個人主義に陥らずに自主的精神に満ちた日本人として、国家および国民各位は、次代の主権者たる子女を育成しなければならない、という義務を背負ったものである。

それと同時に、次代の主権者たる国民のひとりとして、積極的に社会形成に参加する義務感を、子女自ら主体的に求めるという観点の確認が、本来の日本国憲法と教育基本法との関係であったはずである。

このように日本の戦後教育の基本を確認すれば、公共性ある教育権を制限されていた台湾市民にとって、その民主化を実現する構造のモデルに、戦後改革でその開放を実現した日本の教育基本法をとりあげたことは、法理論の研究また形成上、自明のことであったと推察できる。

なぜならば、日本国憲法はその文書化・成立過程において多くの不法性・歪曲性を有しながらも、国民党による単独政権から多元価値を認める民主制への移行実現を求めた台湾の民主派にとってみれば、日本国憲法と教育基本法の連動化は、普遍的価値のある民主主義の解放という目的を実現するための世界史的前例であったからである。

だが、この普遍的教育価値と民族的自主性を両立させるために、1948年まで日本国内では教育勅語と教育基本法が共に並立する体制の存続が努められたことは、民主化とは別の課題として着目されなければならないことを付言しておく。

いずれにしても、教育によって形成される普遍的価値の定義を形成した主体は何であったのか。

また、教育的価値観の戦後の転換は、日本社会にとってそもそもどのような史的意味を有していたのか。

その考察を、次節では整理したい。


4.  新渡戸稲造と教育基本法

1947年に公布された旧教育基本法は、GHQ/SCAPが指示する占領政策の一環にあり、戦後民主主義を実現する教育諸法の「理念法」「根本法」として、戦後教育改革を担った田中耕太郎がその制定をリードした戦後教育の在り方に関する基本法であった。

旧教育基本法が掲げる教育の目的は「人格の完成」であるが、この理念形成に田中の師である新渡戸稲造の思想が影響していたことに注目されることは少ない。

しかし、旧教育基本法が公布されたその日、文部省学校教育局長であった日高第四郎は、その法の意義と新渡戸との関係を、『教育基本法とその日本的背景』と題する論文内で以下のように指摘している。

先生は、教育基本法の精神の「歴史的背景」をおのずから築き上げられた、その育ての親であったと、言えよう。というのは、この法律を恰も予測せるが如く、「透徹せる自律的人格主義に基く近代民主主義」を、思想的にも実践的にも情緒的にも生活に具現された(中略=引用者)先生の人格的思想的信仰的影響を身につけた次代の人々が、敗戦後の危機に際会して先生を忘れていたであろうか。(中略=引用者)こう見てくると基本法の構想に関して先生は直接にこそ語られなかったにしても、この先覚者は後輩又は弟子を通じて思想的に影響を及ぼされたと見られないであろうか。

日高が指摘するように、戦後教育改革をリードした人物たちの多くが新渡戸の指導を受け、思想的にもその影響を受けていたのならば、戦後教育改革の実相は、ただGHQ/SCAPの指示によりGHQ的民主主義を受容したのではなく、戦前社会から続く自由民主主義的改革を志向する思想風景の延長線上にあったと評価することもできるのではないだろか。

田中についても、多大な思想的影響を受けた一高時代の校長は新渡戸であり、また新渡戸が国連事務局次長時代には赴任地で寝食を共にしている。

占領期教育改革とはつまり、被占領者として占領政策の方針に従順するばかりでなく、日本人として日本国独自の戦後改革をGHQの占領政策に依拠することなく断行し、戦前より志向されていた福祉国家への改革構想を、戦後改革で実現しようとした主体性を評価できる側面を有するということである。

少なくとも、教育基本法の制定をはじめこの時期の教育行政改革に関しては、田中が吉田茂内閣の文部大臣として積極的に「日本人としての主体的な民主化改革」をリードしようとしたことは、田中が後年に執筆した『教育基本法の理論』(有斐閣,1961年)に見出すことができる。

田中はその中で、戦後教育改革の独自性を日本側が占領軍に対して発揮しようとしていたことを、以下のように述べているのである。

地方教育行政の一般行政よりの分離独立の必要に関しては、連合軍当局と見解を同じうしていたが、我々としては当初はブロック別な機構を考えていた。(中略=引用者)終戦直後文部省において考究したのは、明治初年の大学区制を採用して、地方教育行政の改革をはかることであった。

教育委員会制度への改革も、米国教育使節団の報告書を横にしながら、ブロック制を中心とする独自の制度構想として教育刷新委員会で田中の発案をもとに審議されていたのは、委員会議事録内に明確に記録されている。

したがって、教育基本法制定を実質的にすすめた文部大臣であった田中が、教育行政の改革に取り組むにあたり、占領軍の改革に依拠せずに、明治5年の学制を再現しようとした点にも注目しなければならない。

つまり、教育基本法の理念形成も含め、占領期の教育改革とは、日本の近代化過程で生成された自律的人格主義という教育の目的を敗戦という構造改革を実行しうる機会を活用し明確に教育行政に位置づけ、また新たな教育行政の設計構想は、日本人自身の自己改革で占領軍による戦後占領をリードしようとした「抵抗」の軌跡であったと、私は考えるのである。


5.  教育からみたアジアの未来を開く日台関係

旧来の統治構造を変革し、教育の根本をもって住民・市民・国民の民主主義的権利(教育を受ける権利や学問の自由)を擁護するという目的のために、教育に関する基本法を教育諸法の頂点に位置する理念法として制定することを目的とするならば、台湾の民主化も日本の戦後民主化もその行政法構造の設計目的は同じである。

これは戦後占領期の沖縄地方でも同様であったし、日本の戦前からにおける教育に関する自由権の獲得という観点を俯瞰し直せば、台湾と日本両国の「民主化」とはつまり、旧来構造が招来した制度疲労という社会的硬直化の是正であり、国家行政の構造改革を終局的にはその目的としていたのである。

また、台湾においても日本においても、その教育基本法の整備が志向される思想背景には、中央政府による硬直的な教育行政を転換するために、国家の主権を有する国民にとって自律的な教育権を規定しようとする自由主義的な改革思潮が認められたのである。

民主化の次に求められるのは、その民主主義国家を構成する自律的な国民としてのアイデンティティーを定義・確立することにあるだろう。

それは、現在社会・現在世代の社会的要求を正確に明示しうる憲法の整備にも求めえるし、また少なくとも「自己はいかなる国民として独立していこうとするのか」という問いを常に社会に責任ある主体的な個人として発することができる国民を育成することであろう。

民主化を苦難の末に迎えた日本と台湾には、共に手をとり、民主主義的成熟を迎えようとするアジア諸国に対してその苦悩の経験を伝えていく義務があるのではないだろうか。


梅本大介 

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20:21  |  【 想う台湾のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(1)

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