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2013.04.09 (Tue)

己に徹して人のために生きよう -原爆復興・広島、濱井信三のリーダーシップ-

広島平和記念都市建設法。
戦後憲法下ではじめて成立した地方自治特別法です。
1949年5月に国会でこの法律が成立したあと、憲法95条〔※1〕の規定にもとづき広島市民の住民投票による賛成多数によって公布施行されました。92%の賛成であったそうです。
条文は7条にわたります。


1.この法律は、恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。

2.広島平和記念都市を建設する特別都市計画(以下平和記念都市建設計画という。)は、都市計画法(昭和四十三年法律第百号)第四条一項〔都市計画の定義〕に定める都市計画の外、恒久の平和を記念すべき施設その他平和記念都市としてふさわしい文化的施設の計画を含むものとする。
(2)広島平和記念都市を建設する特別都市計画事業(以下平和記念都市建設事業という。)は、平和記念都市建設計画を実施するものとする。

3.国及び地方公共団体の関係諸機関は、平和記念都市建設事業が、第一条〔目的〕の目的にてらし重要な意義をもつことを考え、その事業の促進と完成とにできる限り援助を与えなければならない。

4.国は、平和記念都市建設事業の用に供するために必要があると認める場合においては、国有財産法(昭和二十三年法律第七十三号)第二十八条〔譲与〕の規定にかかわらず、その事業の執行に要する費用を負担する公共団体に対し、普通財産を譲与することができる。

5.平和記念都市建設事業の執行者は、その事業がすみやかに完成するように努め、少なくとも六箇月ごとに、建設大臣にその進捗状況を報告しなければならない。

6.広島市の市長は、その住民の協力及び関係諸機関の援助により、広島平和記念都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない。

7.平和記念都市建設計画及び平和記念都市建設事業については、この法律に特別の定がある場合を除く外、都市計画法の適用があるものとする。


この法律の重要なところは、(1)広島を「戦後平和」の象徴都市として定義したこと、(2)中央政府による戦後復興政策の責任性を明確にしたこと、(3)廃墟と化した広島の復興を可及的速やかに進展させるための復興財源を確保したこと、の3点でした。この後、「長崎国際文化都市建設法」、「首都建設法」の成立へと続いていきます。
この法律の国会提出にあたっては、参議院議事部長をつとめていた寺光忠をはじめ戦後の行政法体系を整えた田中二郎や飯沼一省が尽力しました。
寺光は、自身の著書の中でこのように述べています。

「かくして、わたくしは思う。『足を一たび広島市にふみこめば、その一木一草が恒久の平和を象徴して立っている。石ころの一つ一つまでもが、世界平和を象徴してころがっている。平和都市の名にふさわしい国際平和の香気が、全ヒロシマの空にみちみちている。』精神的にいっても物質的にみてもそういうふうな平和郷が、ここに具現されることにならなければならないのである。いつの日にか。」(『ヒロシマ平和都市法』より)

そして、この法律の成立とともに広島の復興を導いた人物として忘れてならないのは、戦後初期に広島市長をつとめた濱井信三です。「平和」を希求する濱井の信念が、現在の広島を形づくったことは疑いようがありません。

敗戦直後の混乱期ですから、中央政府も全国各地の都市の復興を充分な形で支援する財政的余裕はありません。原爆を投下された広島に対しても同様です。そのような中央政府・地方政府ともに財政的制約がある中、市長として中央への陳情をあきらめず、ついに復興財源を確保する広島復興法を成立に導いたのです。濱井の広島復興への信念や構想する政策は、時に広島の既得権益者たちと衝突することもありました。そのような時にも彼は決して「広島復興」への夢をあきらめず、対立者と粘り強く「対話」を重ね、自身の復興政策への理解を得ようとつとめました。濱井の身に危険が及びそうになっても、彼には広島復興への想いを捨てることができなかったのです。濱井の市長就任時の市政方針演説は、(1)市政の民主化、(2)市民生活の安定化、(3)復興事業の速やかな軌道化がその主要な内容でした。原爆の被害、そして戦時経済体制による国民生活の疲弊から回復するには、速やかなる復興政策の実施が何よりも必要であったのです。しかし、国家的財政危機から広島のみを優先的に復興させる財政補助を中央政府が拠出することができない状況が横たわっていることも厳然たる現実でした。そのような政治的閉そく状況を打開するために、広島を「戦後平和」の象徴都市として定義し、広島の復興を通して世界平和を追求しようとする濱井の信念は、敗戦直後という時代が求めた必要なリーダーシップであったのです。それまで広島の復興に注力できていなかった中央政府も、ついに濱井の信念にGHQの国会担当であったジャスティン・ウィリアムズや、吉田茂が賛同を送るに至り、濱井が念願としていた復興財源の確保を整備することになったのです。濱井が遺した手帳の最後のページには、このような言葉が書かれていたといいます。

「己に徹して人のために生きよう」

広島平和記念都市建設法には、東日本大震災の被害から復興が進まない東北の現状を打開するためのヒントがあるように考えます。

東北という地域の文化や歴史を通して、「自然災害と共に生きる日本人」「復興をくりかえして強くなる日本人」の象徴地域として東北を復興に導くことなしには、東北の復興政策は進まないのではないでしょうか。なぜ復興するのか、どのように復興するのか、そのためには各県民・東北の民、日本人全員が一致・一体となって「復興への信念」を形創り、政策に反映させていかなければなりません。

復興とは「国づくり」そのものだと考えます。


※1 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。

〔参考URL〕
・広島市「広島平和記念都市建設法」紹介ページ
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1122608826994/
・中国新聞「広島平和記念都市建設法」条文ページ
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kiroku/mikan/heiwatoshi.html
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