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2011.08.08 (Mon)

日本・韓国・北朝鮮の歴史認識から考える『未来志向」という図式。

最近、男性タレントのツイッタ―発言などにより、テレビ番組の編成における「韓流ブーム」の問題指摘や、竹島問題を調査することを目的とした自民党議員による韓国入国を韓国政府により拒否された問題などが、社会的問題として提議されました。

日本と韓国、もしくは北朝鮮を含む朝鮮文化地域とは、隣国同士でもあるにもかかわらず、多くの問題を長年抱えています。

その問題のひとつに、歴史問題があることは誰もが認めるところだと思います。

日本が朝鮮地域を統治した事実に対する評価は賛否両論あると思います。
私たち日本人ではなく、朝鮮民族の方がどのように考えているのか、賛否両論を通して、その問題の本質を考えてみたいと思います。

まずは、日本統治に対して否定的な意見を紹介したいと思います。
朝鮮総連中央の副議長をつとめた白宗元さん(1923年生まれ)という方が、2010年に岩波書店から出版された『在日一世が語る 戦争と植民地の時代を生きて』という本から、抜粋紹介したいと思います。

「はじめに
やむことなく過ぎ去っていく歳月は、まことに早いもので、私はいつのまにか86歳になりました。時折、これまで歩んできた道を改めてふりかえってみることがありますが、随分いろいろなことがあったなと思います。私たちの世代は、満州事変、中日戦争、太平洋戦争、そしてその合間に上海事件(1932)や実際には大きな戦争であったノモンハン事件と、ほとんど戦争のなかで育ち、戦争のなかで生きてきたようなものなのです。朝鮮人は日本帝国主義による過酷な植民地支配に加えて、これらの戦争の重圧のもとで生きなければなりませんでした。
私はこうした日本の植民地支配・戦争の暗い谷間と敗戦によるつかの間の解放の喜び、そして長くつづく民族分断に苦しむ時代を、さまざまな体験をしながら朝鮮、満州、日本で生活してきました。これは波乱万丈の生き方のように思えるかもしれませんが、戦前から生きてきた多くの朝鮮人にとってこうしたことはよくあったことで、私だけが特別の経験をしたわけではありません。
今年は「韓日併合」100年の節目にあたります。今の若い人たちは、平和な環境の中で高度経済成長期に育ってきたので、植民地に対する抑圧がどんなに過酷で悲惨なものであり、戦争というものがどれほど過酷で恐ろしいものであるかを体験していません。また学校でも歴史、とくに現代史については十分に学習していないとも聞いています。だから私はこの本の中で、自分の体験や見聞とともに、できるだけ当時の時代背景についても語りたいと思います 」


では、同じ2010年に発表され、上の白さんの意見とは違う韓国仁荷大学の教授をつとめていた朴贊雄さん(1926年生まれ)の意見(『日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想』草思社,2010年。)を紹介したいと思います。

「創氏改名の実際
南次郎総督(昭和11年~17年)は、非常に精力的に内鮮一体実現のために努力した人物であった。これは彼の良心の発動であり、彼はこれが日本と朝鮮、両民族のためになるとの確信をもって推進したに違いない。彼の唱導によって推進された二大政策に、創氏改名と志願兵制度を挙げることができる。

南次郎総督の好意から発想
朝鮮人の名前は姓(家族の苗字)が一字(例外的に二字)で名が二字(例外的に一字)の組み合わせになっている。これに対し、日本人の名前は姓(家族の苗字)が二文字(一字や三文字の場合もある)で、名が二文字か三文字(一字の場合もある)の組み合わせになっている。しかし一口に言って、その名を見ただけで朝鮮人か日本人かは、たちどころにわかるようになっている。戸籍などを調べなくても、名前だけでそれがはっきりわかるのである。
朝鮮人の名前を見ただけでは、日本人と区別がつかないようにしようとしたのが、南総督の創氏改名の基本的なアイディアであった。それで朝鮮人の元の姓は戸籍上に残しておきながら、戸主が新たに氏を創設して、名乗るときには姓の代わりに氏を名乗るよう決めたのである。
名前の付け方も朝鮮人と日本人と全然違う。それで名前も、この機会に日本式に変えるよう奨励した。こうすると、その名前だけでは朝鮮人と日本人の区別がつかなくなり、それだけ両民族が近付いたことになると考えたわけだ。僕はこれを、南総督の好意から出た発想であると受け止める。朝鮮文化の抹殺を図る陰謀や悪意からきた仕業だとは考えない。
日本植民地時代から今に至るまで、日本に居住する朝鮮人らは通名という日本人名を持って暮らしている。これは日本政府が決めたのではなく、韓国人たちが自ら望んでこの通名制度を認めてもらっているのであり、これもあからさまな差別を避けるためのものである。
植民地時代の、朝鮮在住朝鮮人らは、当時このような通名を自ら望んだのではないけれど、この創氏改名制度に反対もしなかった。地方によっては、ある程度強制されたところがあったかもしれないが、京城では洞会(洞事務所)や学校などから強勘されたというハナシは聞いていない。それでも韓国人らは80~90%ほどが進んで創氏改名に応じた。創氏改名をすれば外見上、日本人と韓国人の区別はつかなくなるが、戸籍の上では元の姓はちゃんと残っているのだから、姓を奪われたという非難は当たらない。

同意しがたい高崎宗司教授の論調
僕の手許に津田塾大学、高崎宗司教授の手になる『植民地朝鮮の日本人』という題の岩波新書本がある。
彼はこの著書で、植民地時代の朝鮮では、日本の官憲ばかりでなく、数多くの日本の民間人がのしていって侵略行為に積極的に加担したことを、実証的に丹念に記載している。しかし彼は1944年、すなわち終戦前年の生まれであり、植民地時代の朝鮮に身を持って接した経験はない。
その当時朝鮮で生まれ、朝鮮で育った僕は、彼の論調には同意しがたい点があまりにも多い。」


白さんの意見が、いわゆる「通説」と言われるものでしょう。しかしながら、同世代の白さんと朴さんとで、なぜこのように意見がことなるのでしょうか。

歴史認識というのは、様々です。日本人と朝鮮民族の間でさえ、違う歴史観が存在するように、同国人の中でさえその差異はあります。それは、それぞれの「体験」を通した「事実」から、「真実」が形成されてしまうからです。そして、それはなにも歴史認識だけの問題ではありません。日本と韓国・北朝鮮が抱える問題は、「戦後」という世界にあって、「ドミナント(あるべき)」ストーリーが固定化してしまっている点にあるのではないでしょうか。そして、そのストーリーから外れるストーリーを、否定・抹殺する思想傾向が存在する。これでは、いくら努力しても、「未来志向」に歩みを踏み出せるはずがありません。どちらの意見を肯定しようが、否定しようが、それは個人の「自由」な意見です。問題は、どちらの意見にしても、その意見というものを「絶対」視することに危機を覚えるのです。保守派は戦後社会の歴史認識の是正を図ろうとしています。しかし、一部の保守派は、その歴史認識の形成において、彼らが批判する戦後民主主義思想によって継続された左翼教育思想というものと全く同じ手法を取ろうとしています。「絶対」を歴史認識で位置づけることは、「教育の死」であると思うのです。そうなれば、「未来志向」は誕生しない。

そういう方向性を考えるうえで、日・韓・北の歴史認識問題は、格好の材料なのだと思うのです。
だからこそ、私は私で、私の歴史認識を堂々とこれからも語っていきたいと思います。それは、相手の意見や思想もまた奥深くまで聴く「寛容」の精神を最も生き方の根幹に置く「保守」派の一人であると誇っていきたいからなのです。
マスコミの問題や領土問題、拉致問題はそれぞれ別々の視点を必要とする問題ですが・・・
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