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2010.11.18 (Thu)

【公】という言葉のはじまり。   ~ 大和の民とは天皇を長とする混血多文化社会のこと ~

先日、1940年代に早稲田大学で教鞭をとっていた川邊喜三郎氏の研究を紹介したが、先の研究の本題は「天皇制・家族制の科学的研究」である。

日本における家族制度と天皇制の基本因襲性として、川邊はこのように指摘する。





我が社会国家の有史以来の特質を理解するため、古き伝説と記録とを辿ってその特徴的全貌を瞥見すれば、古代に於ては我が国は皇室を中心とする氏族制社会であり、中世以後漸次氏族的勢力が衰へて家族本位となり、更に降って最近明治維新以来欧米文化の浸透に因って、社会単位としての個人の立場が漸次重きを加へ来つて、家族的遺風と個人的独立との混合体としての社会制度を樹立持続し来ったのである。先づ国民は常に皇室を宗家とする一大家族的大社会と考へられ、従って皇室の祖先は又一般国民の大祖先であり、国民はそれぞれ皇室の大祖先から分岐した支流に當るものと信じられた。故におほやけ(大宅)と云う言葉が古くは往々宗家たる皇室の意味に解せられ、又転化して天皇の意味にも用ひられ、後に至つて公儀即ち政府の意味にも転用されるに意味にも至ったのである。一般国民にはその血縁の近き家族の一団である種族の分派系統を表示するため氏が用ひられ、又地位を表すために姓が用ひられた。そして民にはそれぞれ氏上と称する族長があって氏族を代表統治し、天皇の命令は大氏の氏上に伝えられ、大氏の氏長は更にそれをそれぞれ部下の小氏の氏上達に伝達し、かくして政治は血縁単位の構成組織を以て行われた。氏上は後に長者とも呼ばれ、近世に至っても徳川将軍を源氏の長者と呼んだのはこれが為である。然るに皇室は全国民の宗家で他にまぎらはしきものが無いため、皇室自体には特別の姓氏が附せられず、今日に至るまでただ各天皇の御名のみ表示されて来たのである。

(p.19-21)

そして、この天皇を一大家族の長に仰ぎ見る社会的伝統はどのように形成されたのかという歴史に着目しなければならないと指摘する。







「忠孝は人倫の本なり」と云ふ社会的道徳信条こそ、真に基本的なるものものの中最も基本的な我が国民の伝統慣習であり、そして又これに関連して生じた醇風美俗の類は、悉く我が国独特の家族主義道徳と信仰とが基礎を成す社会規範である。

我が国にかくの如き世界異例の伝統慣習が生じたのは、主として我が国の大陸から隔絶した孤島自然環境の結果である。海外との交通が不便なため一方外部からの侵略を蒙る危険性が少なかったと同時に、又異種文化との接触が少なかったので、二千六百年の長期間に特殊の文化的発達を遂げたのである。個人と家とが一体化し、我が家と郷土とが合体し、引いては郷土と国との不可分的観念にまで広大して考と忠とが一体不二となり、遂に忠孝を如実に人倫の本と信ずるようになったのである。そして多数の外来帰化人も一度この国土に定住する時は、遠からずこの伝統道徳中に混入同化してしまった。古くは日本民族神別即ち神代の神々の子孫皇別即ち皇室からの分派及び蕃別即ち外来帰化人の三種族に大別された。(中略=引用者)前二者は元来の大和民族であり、これに対し第三の蕃別が実に全体の約三分の一を占め、それは種々の人種や種族-例え熊襲隼人土蜘蛛・蝦夷・その他支那・朝鮮・南洋方面からの外来者-をも含めた帰化人であつたが、彼らもいつしか皆前二者と同化融合して、忠孝を基本因襲道徳とする大和民族となってしまった。一例を挙げれば、赤穂義士中の傑物武林唯七は支那からの帰化人武林の子孫であったと云う。

(p.30-32)


おそらく我が国は、多くの地域から渡来した民族が、本来日本列島にいた日本民族と混血を繰り返しながら、「日本」というものを創っていったのだろう。文明圏として、南鹿児島琉球列島~越(大陸南部)、モンゴル~朝鮮~北部九州、山陰~北陸中部、などのエリアがあつたことが分かっている。たとえば、スサノオ信仰が強い場所は朝鮮渡来の民族が強い場所だと言われている。朝鮮渡来の民族(主に百済系)としては、大和朝廷に仕え、物流と水と鉄産業、稲荷信仰支配した秦氏がいる。中国・九州地方を支配した大内家の先祖は、百済王でもある。



では、そのような血を受け継ぐ現在の日本人が、朝鮮人かというと、それもまったく違う。



現在の神社にある「狛犬」の由来は、「高麗の犬」である。

だからといって、これが朝鮮のものかといえば、そうではない。

後にシルクロードが示すように、ローマから中東、アジア大陸半島を渡って、地続きに、または海を渡って、流れてきた文化やヒトすべてが「渡来」であり、「帰化人」なのである。そして、それらは「日本」となり、「日本人」となった。愛着と愛国心をもって。



しかし、日本がそのような寛容の心で外に開いていれば、一枚ずつ皮をはぐように、日本の国益を外から侵略する。そして、あえてそのような外患を誘致しよとしているとしか思えない現在の社会的指導者たちの存在。

いまでは、韓国では「日王の起源は朝鮮である」とか「天皇は韓国人」などと言っているが、これほどでたらめな歴史観もない。そもそも、古来朝鮮と現在朝鮮はまったく異なるものなのだ。歴史的事実として一部部分は正しい。ただ、それは一部分だ。また、彼らは、かつて日本と渤海が日本海を内海として、交易・文化交流をしていたことをあげて、「東海」にすべきだと主張する。確かに、渤海と日本は強い軍事同盟を結び、「兄弟の国」として認め合っていた。しかし、古代社会と現代社会では、まったく国家の姿が違うのだ。この地域で唯一残っているのは、日本だけではないか。





古来より、「外つ国」のヒトやモノを大らかに受け入れ、「日本人に同化させていった」姿が、日本なのである。世界各地の文化、宗教、民族が天皇という一大家族の親のもとで融合し、「日本」を創造していった。



その「世界の奇跡」が、「天皇」であり、「日本」なのである。



科学合理的に天皇の歴史の断絶性を証明しようとしても無駄なのである。いまここにある現実として、天皇は連綿と続き、日本がある。よって、それが「万世一系」の物語として語れるのである。





日本人は、相手が朝鮮人だろうが、中国人だろうが、台湾人であろうが、受け入れることを拒否しない。彼らの先祖も、この日本という土地に根付き、日本人になっていったからだ。





そう考えたとき、なぜなのかと、外国人参政権の必要性に疑問をもつのである。

日本人になれば十分ではないか。

永住者に対しては、帰化の機会はいくらでもあった。

それを受け入れないヒトたちに対して、なぜ「国民の権利」として、日本人が譲歩しなければならないのか。日本の歴史は、移民も帰化も否定していない。





「民族排斥」と「愛国(反反日)」を違えてはならないが、本当に日本の歴史をしっていれば、安易な「融和(友愛?)」政策にはなりえないはずなのである。
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03:46  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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