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2010.09.09 (Thu)

日本人自身の考えを

「日本に日本の学問は存在するのか」

常に自問自答する課題である。我が国の大学や大学院という高等教育には、多くの海外青年が留学をしてくる。国際交流が自然と存在している景色というのが、東西南北大小問わず大学の風景というものだろう。しかし、この国際色豊かな大学において、多くの留学生から聞くコメントがある。

「わたしは日本の学問を学びたい」

このコメントほど、日本人としての自信を失わせるものはない。彼ら留学生が投げかけているコメントは、日本の大学や学問には発信性がない、と指摘しているのだ。確かに、我が国の高等教育研究は、文理を問わず、国際的にみても、大変高い業績を残しており、有為な人材を多く輩出している。しかし、欧米の学問を後追いしているだけという批判が存在するのも確かだ。「翻訳学問」「紹介学問」と揶揄されるのは、近代化がもたらした負の遺産の部分であるのかもしれない。国費留学生制度を創設した初代文部大臣森有礼が、出発する前の留学生たちに「西洋人と血の混じった子供を連れて帰って来い」と訓示されたといわれる ほど、欧米列強との国力の格差を痛感していた時代の結果なのだろう。

この問題性を御一人早く指摘されておられた御方がおられた。明治天皇陛下である。「朕過日大学ニ臨ス(十月廿九日)設ル所ノ学科ヲ巡視スルニ理科化(学)科植物科医科法科等ハ益々其進歩ヲ見ル可シト雖モ主本トスル所ノ修身ノ学科ニ於テハ曾テ見ル所ナシ(中略=引用者) 然ルニ今大学ノ教科和漢修身ノ科有ルヤ無キヤモ知ラス国学漢儒固陋ナル者アリト雖トモ其固陋ナル其人ノ過チナリ」 との御聖慮を、明治19年10月29日に東京帝国大学を御行幸なされた時に示された。畏くも明治天皇陛下がそのように皇国最高の学府であった東京帝国大学の授業を通して、我が国の在り方、学問・教育の在り方を御自ら御問いあそばされたのは、大変重い意味を有するのではないだろうか。

様々な学術領域が、高等教育には存在する。その様々な学問が多角的に相互に作用し、「日本」というものを軸にして研究を掘り下げていく、発信していく、そのような姿勢が我が国の研究者や大学生にも必要ではないのか。日本に留学してくる海外青年は、「日本」を学びたいという動機をその多くが持っていたはずだ。しかし、その希望を幻滅させる現状が、我が国の大学にはある。米国のことを学びたければ米国の大学に進めばよいし、中華人民共和国のことを学びたければ中華人民共和国の大学に進めばよいだろう。それは、英国や仏国その他多くの国々に対してもいえることだ。わざわざ、日本に来て、諸外国の学問成果・研究成果を学ぶことになんの意味があるのだろうか。

この悲惨な「自己喪失」がある我が国の現状に、落胆をしていても仕方がない。この危機を感じ、仕切り直しで「日本」を発信していく。そういう姿勢は、先の敗戦により「自己喪失」を余儀なくされた日本人自身が、「日本」を「再発見」していくことにもつながる。自らが自信をもっていなければ、他国の誰が日本に魅力を感じるだろうか。世界に魅力を伝えていくということは、自分や自国に自信や誇りをもっていてはじめて出来ることではないだろうか。それを最も効果的に発信できるのが、幅広い知識が集合する「教育」なのだと確信している。

私は、大学学部生の頃から台湾の大学生たちと学術交流活動をしている。なぜ台湾なのか、と問われれば、我が国と国交がないからである。政治的な公式外交を展開できない以上、その外交関係を保てるのは、民間活動として「政治の外」にある学術交流であると考えている。まして、かつては「歴史を共にした」人たちとの交流である。政府や企業から、支援金や協賛金がもらえるわけでもないが、彼らと私たちの心を通わせることは、何よりも代えがたい資産だと思っている。また彼らほど、「日本がどのように考えているのか」というメッセージを欲している存在もいない。

「歴史」「自由」「人権」「民主」「平和」「最高指導者の条件」など、様々なテーマを、研究者を招きながらこれまで話し合ってきた。相互に日本と台湾の往来をくりかえす交流が、日本への理解を深めるきっかけになるはずだと確信して、これまで活動をしてきた。現実として、諸外国の学生の多くは留学先に米国を選択する。それは、米国が覇権国家としての地位を有しているからだが、その他の国々と比べても、日本への留学希望は低い。留学者は母国に帰れば、留学先の国を自然と広報してくれる。存在感の大きさ・親密さの深さ、というのは、立派な「国力」のひとつではないだろうか。だからこそ、日本に留学生を増やさなければならないし、日本から留学者を出さなければならないのである。自身の交流活動を通して、日本に興味を持ったと言ってくれる学生がいることは大変うれしい。実際に、日本に旅行し、また留学しに来てくれる学生もいる。先人たちの努力の賜物なのか、台湾に滞在していれば、旧日本語世代の人だけでなく、若い人達も日本語で話しかけてくれることが多い。こういう日本にとって大切な「資産」を残し、殖やしていく、そういう在り様は「日本人としての誇り」を私にもたらしてくれると考えている。

台湾だけである必要はない。私の交流活動の場合は台湾だが、他の国だってよい。どんな些細なことでも、自分が興味をもっている国との交流を広げていくことは、日本全体の外交となっていくことに違いない。その時に忘れてはいけない必要なことは、「日本とは何なのか」「日本人はどう考えているのか」というメッセージをしっかりと発信していく自信を持つことだ。そして、日本の学術界も具体的に「日本」という姿を織り交ぜて、その研究に取り組んでいかなければ、日本への興味は増えていかないだろう。

「日本の魅力をどのように世界に伝えるか」というテーマは、行き着くところ、畏くも明治天皇陛下が東京帝国大学でお示しあそばさせれたように、日本人ひとりひとりが「日本とともにある」という心を宿していくことでやっと解を見出させていけるものではないだろうか。


【参考文献】
・久保田信之『近代化の忘れもの』酒井書店.2006
・元田永孚『聖喩記』
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02:34  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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