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2010.07.27 (Tue)

日本に必要な感覚。

【噴水台】マキアベリ
という韓国の新聞記者である中央日報の記事を読みました・・・。


記事の内容は韓国のことですが、まったくもって、いまの日本社会や政治にも足りない部分だと思います。政治家や経営者を志すヒトだけでなく、読書をする時間が十分にある学生もまた、マキアヴェッリの作品を読むことをおすすめします。必ず必ず、「生きていく」という重みを学ぶことができると思うからです。

中央日報の記事は、「マキアヴェッリの作品を読むことによって、韓国政治も冷淡で冷静で貫徹であれ」と説いていますが、マキアヴェッリの真価とは「強いリーダーシップ」のみを説いたのではありません。人間が人間らしく誇りを保つために、どのように他人と接していけばよいのか、恋することの大切さ、明日を常にみつめる強さ、他人を傷つけない思慮深さを、説いているのです。もちろん、フィレンツェの時代背景があり、チェーザレ・ボルジアという一時代の英雄にユリウス・カエサルを重ねあわせたイタリア統一への希望など、君主論の背景はとても深いものがありますが、マキアヴエッリが書いた作品の本質は、法王パオロ五世が「善きキリスト教徒には不適当なもの」と評したようなものではないのです。

彼の作品のひとつである『政略論』に、自分自身に反映させて、とても大事にしている箇所があります。ネット社会が広がる現在、とても大切なことだと、自戒をもって大切にしています。


---『政略論』---
 ある人物が、賢明で思慮に富む人物であることを実証する材料の一つは、たとえ言葉だけであっても他者を脅迫したり侮辱したりしないことであると言ってよい。
 なぜなら、この二つの行為とも、相手に害を与えるのに何の役にも立たないからである。
 脅迫は、相手の要心を目覚めさせるだけだし、侮辱はこれまで以上の敵意をかき立てさせるだけである。その結果、相手はそれまで考えもしなかった強い執念をもって、あなたを破滅させようと決意するに違いない。
 古代ローマ人は、このことを熟知していた。彼らは、本心からであろうと単なる冗談であろうと、この二つの誤りを犯すことほど相手の胸中に憎悪の念をかき立てることはないとわかっていたのである。
 タキトゥスも書いている。
 「どぎつい冗談とは、それが真実からかけ離れている場合はなおさらのこと、とげとげしい後味を残さないではすまないものである」と。
---


マキアヴェッリに関する著作も多い塩野七生は、『マキアヴェッリ語録』の「読者に」という巻頭言で、マキアヴェッリの政治評論の本質をこのように述べています。


---『マキアヴェッリ語録』---
 政治を論じているからといって、永田町界隈や県庁所在地でくりひろげられているものだけを思い浮かべないで下さい。あれも政治なのでしょうが、残念ながらあのような場所で支配的なのは、狭義の政治にすぎません。政治とはもっと広いもので、いってみれば、もてる力を、いかにすれば公正に、かつまた効率良く活用できるかの「技」ではないかと考えています。
 それゆえ、古代のギリシア人も、ホモ・エコノミクスよりも、ホモ・ポリティクスを上位に置いたのであり、歴史を見ても、民族の興亡のはじめには経済力の強大が来、次いで政治力の成熟が訪れる事実が、証明してくれているようです。つまり、人間が、自らの智恵をしぼってやるに値する、「技(アルテ)」なのです。
 だからこそ、マキアヴェッリも、政治に生涯を賭ける想いになれたのでしょう。そして、現代の日本人に求められているのも、このような意味での政治ではないかと私は考えます。
---




---(以下、記事内容) ---

イタリア・フィレンチェの真ん中ににょきっと湧いたドゥオーモ(サンタマリアデルピオーレ聖堂)は八角形の石材ドームでは西ヨーロッパ最初の建築物だ。「花の都市」フィレンチェの誇りで象徴だ。小説と映画「冷静と情熱の間」で2人の男女が10年前の約束を守って再会する所だ。ドゥオーモはニッコロ・マキアベリ(1469~1527)にも格別の意味がある。「ローマ人の物語」の著者塩野七生は「わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡」で「理由もなく官職から追い出されたマキアベリがフィレンチェ隣近の山荘でドゥオーモを眺めながら自分自身に降り注いだ沸き立つ怒りを思って彼の生涯を書こうと心に決めた」と書いた。フィレンチェ出身のマキアベリはドゥオーモを見て育ち、出世して、墜落してドゥオーモと栄辱を一緒にしたと言う。「自分の魂より祖国をもっと愛した」マキアベリは力作「君主論」の筆を執りながら、ドゥオーモを完全に守ることが君主の使命だと見たのだろう。
マキアベリほど、死後500年たって論難の対象になった人物も珍しい。「マキアベリズム」という用語を生んで専制君主を擁護する冷酷な現実政治理論家と評価されてきた。権謀術数の化身でもあった。「狐と獅子論」が代表的だ。彼は「君主は獅子の力と狐の狡さ」を同時にもつべきだと主張する。「君主は必要な場合、悪を行うことができなければならない」と人間の弱い心理を逆利用せよと注文する。
当時フィレンチェ共和国は周辺強大国の脅威の中で生存を悩む小さな都市国家にすぎなかった。それで専制政治をほめたたえるより「近代国家」のために力強いリーダーシップが必要だとマキアベリは思った。君主政の下で権力をどう獲得・維持して、その方法と手段を論じたのが君主論だ。
進歩学界の巨匠チェ・チャンジブ高麗大学名誉教授が本紙の人セクションjとのインタビューで「今、韓国政治には(共産党宣言の)カール・マルクスではないマキアベリが必要だ」とし「彼が強調した『政治と統治の技術』に韓国社会が目を開かなければならない」と提言した。手厚さとけち臭さ、残忍と慈悲、おべっか使いを避ける方法など君主の資質とかかわるマキアベリの文を読んでみれば自然にうなずける。「自己防衛力を持たない国家は破壊と隷属で終わる宿命を持つ」と軍備の重要性を力説した内容は今日も有効だ。韓国社会が彼を「友達」として呼び出し、本格的な討論をすることも悪くないだろう。
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