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2010.06.16 (Wed)

なぜリスクをとるリーダーが出ないのか-。安定した統治は、強い意志と覚悟と継続力が必要だ!

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“ 『法案成立率 戦後2番目の低水準』をどう考えるか。 ”


危機の打開に妙薬はない。ということは、人を代えたとしても目ざましい効果は期待できないということである。やらねばならないことはわかっているのだから、当事者が誰になろうと、それをやりつづけるしかないのだ。「やる」ことよりも、「やりつづける」ことのほうが重要である。
なぜなら、政策は継続して行われないと、それは他の面での力の無駄使いにつながり、おかげで危機はなお一層深刻化する、ということになってしまう。失われた十年というが、あれは、持てる力を無駄使いした十年、であったのだ。
(中略=引用者)なぜか、危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。首をすげ代えれば、危機も打開できるかと、人々は夢見るのであろうか。だがこれは、夢であって現実ではない。
(中略=引用者)三世紀に入ったとたんに、ローマの軍事力が弱体化したのではない。経済力が衰退したのでもなかった。これらは、後になって襲ってくる現象である。皇帝の交代が激しく、在位期間が短く、それゆえに政策の継続性も失われたことによる力の浪費の結果として、生まれてきた現象なのである。
政策の継続性の欠如こそが三世紀のローマ帝国にとって、諸悪の根源であったのだった。

(塩野七生「継続は力なり」文春新書『日本人へ リーダー篇』.2010年.37-41頁)


ぼくは民主党支持者ではありません。自民党を支持していますので、民主党政権は打倒しなければならないと思っています。ですが、いま政局によって民主党政権から自民党政権になるべきだとも思いません。政権はどこまでも選挙によって維持・移行が行われるべきだと思うからです。
小泉政権をのぞいて、短期政権を繰り返す日本。1年間というごくわずかな政権期間の繰り返しが、日本の国力を低下させてきたことは誰の目にも明らかです。
驚異的な経済成長を実現した時期は、中央官僚制度が安定的な政権政党のもと開発独裁を実現できていました。ゆえに彼らは『国家の官僚』たりえていました。しかし、90年代以降、日本政治は政界再編成期に突入します。経済成長期の構造転換が争点の軸となっていきます。硬直化をみせる社会構造は変革しなければなりませんが、どの部分をどのように変えていくのかというBigPictureの議論はされてきませんでした。政治改革といえば選挙制度改革であり、行政改革といえば行政評価導入を軸とした省庁再編成でした。橋本内閣から続く省庁再編成も官僚組織の効率化を果たしているかといえば、国立大学法人改革をみても疑問符をつけざるをえません。
戦後60年、戦後民主主義体制という社会構造が硬直化をみせはじめている以上、そもそも構造基盤となっている国のあり方や憲法を議論しなくては、社会構造の転換など果たしようがありません。政策目的が現在社会構造の上に立脚する以上、新たな政策視点は新たなシステムにしか宿らないと思うのです。

ぼくはこの構造改革のためには、『地方分権化』をやらねばならないと思っています。民主党も自民党も『地域主権』と『地方分権』という言葉の違いはありますが、『小さな(中央)政府』をめざしています。その意味では、どちらも保守党ですが、国のあり方が両党では全く違います。両党とも都道府県を廃止しようとしていますが、民主党は『中央政府-地方政府(市町村)』、自民党は『中央政府-地方政府(道州制)-地方政府(市町村)』という構造に変えたいと考えています。これは行政権限と範囲設定の違いですが、集権と分権のバランスをどのように考えるのかという議論になります。ぼくは自民党の政策を支持しますが、民主党を支持する方もおられると思います。この保守党同士が国家のあり方に関して、違いをみせているのは、とてもいいことだと思います。国民が選択の議論ができることが重要だと思うからです。

地方分権化の最大目的は、権限獲得のための『地方のことは地方に、中央のことは中央に』などという権力闘争ではありません。国家全体として、『政策の継続性』をどのように構築していくのかという構造改革を果たすことに、その目的があるはずです。
『地方のことは地方に、中央のことは中央に』という意味は、国民生活の基礎的な方向性は二元代表制のもとで地方政府者が強く安定した統治で望み、国家意志の発展的な方向性は議院内閣制のもとで中央政府者が改革を果たしていく、ことが本来めざさなければならない方向性ではないでしょうか。地方政府も中央政府もその担う使命・構成原理を分離できたとき、政局によらない『安定的な政権選択』を国民が有することができるのだと考えます。

僕たち戦後世代の日本人は『他国民の血を金で買う偽りの平和』を普遍的なものであるととらえ、『神なき個人主義』によって国家という共同性を喪失している気がします。そういう世代が、『日本』を滅ぼすことがないよう、僕たちの手で『日本』を創りあげていかなければなりません。そのためには、なによりも『安定した統治』というものが必要だと思うのです。

この間、野党がなにもしないわけではありません。与党が統治を行っている間、徹底的に失策を批判し、研究し、対案を作り、選挙によって訴えていく。また、自分たちがめざす国家のあり方を国民に訴えつづけ、憲法を自分達のものにしていく。そういう役割があるはずです。

一度選んだからには当分は任せる、それが民主主義であり、僕たち国民に求められる覚悟だと思います。独裁制をしいている国家ではないのですから、彼らの強烈・強力な政策遂行力に勝つためには、『安定した統治』を指導者に保障していく我々国民の覚悟が必要なのです。国民の信を失う政治であるのならば、任期が終わったあとの選挙によって政権交代させればいい。それが主権者である国民が責任をとる民主主義の本質であると思います。それがどんな失政であろうとも、少なくとも、短期間で統治者・宰相が交代していくより、国力維持という点からずっとましであるとぼくは確信しています。
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04:07  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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