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2008.02.05 (Tue)

社会資本論という授業の感想

紀元2世紀のギリシアの哲学者・アリスティデスの言葉を思い出す。

「かつて、ホメロスは謳った。大地はすべての人のものである、と。ローマは、詩人のこの夢を、現実にしたのである。あなた方ローマ人は、傘下に収めた土地のすべてを、測量し記録した。そしてその後で、河川には橋をかけ、平地はもちろんのこと山地にさえも街道を敷設し、帝国のどの地方に住まおうと、往き来が容易になるように整備したのである。しかもそのうえ、帝国全域の安全のための防衛体制を確立し、人種がちがおうと民族が異なろうと、共に生きていくに必要な法律を整備した。これらのことすべてによって、あなた方ローマ人は、ローマ市民でない人々にも、秩序ある安定した社会に生きることの重要さを教えたのであった」

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防衛網と街道網の一致が当然と考えていた以上に、彼らローマ人は社会資本の整備事業が帝国全領域に住まう住民にとって最低限必要な生活を送るための大事業である、という大義を固く信じていた。だからこそ、貴族は自身の義務として私財を投げ打って公共事業を整備していった。キリスト教が国教となる以前の“ローマ精神”が健全であった頃のローマ帝国は社会資本整備というものを、その彼等が精神の映し鏡と捉えていた。

ひるがえってわが国はどうか。

先の敗戦以来、西洋近代の個人主義を範とすることによってのみ「新日本建設」が可能となるとの思い込みが主流をしめてしまった現代日本は、軸をもたない平衡感覚を政治、社会、個人生活みなに持ち合わせてしまった。時代の流れとともに左右の揺れはあれども、軸をもたない平衡感覚はただの「停滞」にしか過ぎない。

税制に関する議論にせよ、道路整備事業に関する議論にせよ、航空路の自由化改革に関する議論にせよ、この日本が歩み目指そうとする“坂の上の雲”への視点は果たして定まっているのであろうか。小さな政府を目指すという名目で国家機構・公務員数・行政予算の縮小を盲目的に行うことになんの意味があるのだろうか。無意味に肥大化・硬直化した組織体質は改革しなければならない。しかしながら、たとえば国土交通省においては管制官の人数を大幅に減らしながら、現在の管制システムを維持させ、さらにその業務における個人責任の重さを増大させているような現実は、果たして「健全な国家運営・国土運営」と言えるのであろうか。

道路整備をはじめとする公共事業に関する議論にせよ、様々な意見があるだろう。日本社会は民主主義社会として成熟しつつある。その中の議論で公共事業政策の「必要・不必要」という選択は、どのような結果にしろ、存在してよい。しかし、その中に「平衡感覚」を維持したまま、現在世代から将来世代に渡っての議論は交わされているのだろうか。現在政府の財務のみによって、政策が議論されていないだろうか。

現代社会は、現代人の我々のみによって築き上げられたものではない。祖先累代の子孫に対する“想い”によって築き上げられた社会の姿が、現代なのだ。

そうであれば、『国家』という姿を再視認し、『国土』の意味を再認識しなければ、社会資本政策の議論は意味をなさないのではないだろうか。

そのような立ち位置にたった議論こそが、我々現代『世代の責任』なのだと私は思う。
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23:50  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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