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2009.11.23 (Mon)

「乱世はまだ続くぞ。そして、俺たちは、誰と較べても若いのだ」 孫策は大声を出して従者を呼び、新しい酒を命じた。

繁栄を極めたかつての都は、焦土と化した。長安に遷都した董卓の暴虐は一層激しさを増していく。主の横暴をよそに、病に伏せる妻に痛心する呂布。その機に乗じ、政事への野望を目論む王允は、董卓の信頼厚い呂布と妻に姦計をめぐらす。一方、百万の青州黄巾軍に僅か三万の兵で挑む曹操。父・孫堅の遺志を胸に秘め、覇業を目指す孫策。そして、関羽、張飛とともに予州で機を伺う劉備。秋の風が波瀾を起こす、北方“三国志”第二巻。



北方三国志の2巻目を読了しました。
北方世界は、熱い、熱すぎます!!
まさに「漢」の世界。ウザいくらいに、アツいです(笑)。

文章のひとつひとつがそんな青春世界ですが、今回の内容で、気になった下りは以下のところです。

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陶謙の首を取れる。
父に対して曹操ができるのは、それだけだった。
複雑な父子だった、と言っていいだろう。宦官の養子になった男。少年のころから、曹操は父をそう見ていた。そのために、自分は宦官の家系を継ぐ者として生まれた。
袁紹のような名門に生まれていたら。よくそう思ったものだ。
しかし、ある時まで、父は曹操に厳しかった。男の心のありようも、父に教えられた。宦官の家系ということを、父は曹操よりも気にしていたのではないか。兵を挙げてからは、父は惜しげもなく家産を傾けて、曹操に援助を送ってきた。宦官であった祖父の代に蓄えられ、養子であった父の代に厖大なものになった家産も、いまではほとんど残ってはいないだろう。家具まで切り売りしながら送ってくる銭は、最後には悲しいほどに少額なものになっていた。
父の援助を、曹操は当然のものとして受け取ってきた。自分は曹家を名誉ある一門にする存在なのだ、と心の底で思っていたからだ。だから、父に礼を言うこともなかった。
父を失ったという喪失感の大きさは、そういう理由から来るのだろうか。怒りの激しさは自分でも戸惑うほどで、それはいまになっても消えない。
そんなことを考えながら、夜明けを迎えた。
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曹操の父が徐州牧である陶謙の部下に殺され、父の仇をとるために、陶謙討伐に出る前の曹操の心の様を描いたシーンです。曹操は実際に徐州に入り、歴史の汚名となる大虐殺を行うのですが、この時の虐殺の理由をそれこそ多くの古今東西の作家が描いています。北方三国志での解釈はこのようなものでした。

悪名をものともしない曹操の豪胆さは常に天下への志にあったのですから、この虐殺もまた天下人への路を築き上げていくものになっていくのですが、それよりも親子の情というもの、彼がなす天下への志の意味を父に理解して欲しかったという甘えの精神構造が曹操にも存在していた、というところに、読者が共感できる覇者の姿があると思うのです。

その後の歴史をみても、曹操は決して家族運に恵まれた英雄ではありません。むしろ、悲運が続くといっていいほどです。もちろん、他の英雄もそうですので、この時代の特性だともいえますが。
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02:48  |  【 こんな本を読みました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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