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2009.11.06 (Fri)

そうだ、目黒へ行こう。 2

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五百羅漢寺へと向かう途中に、海福寺に寄り道しました。
小さなお寺なのですが、朱塗りの四脚門がとても落ち着いていて、また門までの道はふつうの一般家庭に囲まれている、素朴な日本の下町を示すような風景をかもしだしています。

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本堂脇にある梵鐘は東京都の指定文化財なのですが、それよりもビックリするのが、九層の石塔です。この石塔、なんとあの武田信玄公の館にあったものだそうです。武田信玄公を尊敬するボクとしては、ムチャクチャ感動するものでした。ひとりで感動して、はしゃいでいました(笑)。目黒区の指定文化財だそうです。

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お寺の手前に、供養塔があります。
この供養塔は文化四年(1807年)の永代橋崩落事故で亡くなった人の供養塔なのです。

街歩きという企画をしていて本当によかったな、と思うのは、こういう歴史の教科書では教えてもらえない郷土史というものを知ることができることです。福岡出身のぼくが、江戸・東京の歴史を知ることなんてそんなにないと思うんです。永代橋の崩落事件というものがあったなんて知りませんよね、普通は。

この永代橋の崩落は、八幡宮の祭日に起こったもので、橋を渡っていたヒトが440名も溺死してしまったそうです。海福寺も深川にあったのですが、明治43年(1910)に水害にあい、これを機に現在の目黒へと供養塔といっしょに現在の地に移転してきたそうです。

江戸・東京の町が橋の町であったということは、江戸・東京という町は水脈の都であったということです。いまでいえば、ヴェネツィアみたいな町だったのでしょう。そして、そういう崩落事件をみても、人の往来が激しかった様子を想像できたり、公共工事とはどうあるべきなのかを考えさせてくれます。

そういう意味で、今回、供養塔をみることができてよかったと思います。
自分で言うのも変ですが、企画自体は決して間違っていないものだと再認識いたしました。


@だいすけ。
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