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2009.10.30 (Fri)

そうだ、目黒へ行こう。 1

今回の土曜さんぽは、目黒に行ってきました。
目黒という町は寺院が点在する坂の町として江戸時代には、町民たちの行楽地として栄えた町です。江戸五色不動として有名な目黒不動尊をはじめ、多くの寺院が存在します。

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まずは、目黒駅に集合したあと、行人坂を目指します。
この行人坂、とても険しい。ぼくたちは目黒駅側から下るのでそんなに疲労感はないのですが、下から上ってきている人たちは本当に大変そうです。みなさん、息を切らしながら上ってくる様をみると、なぜかほほえましく思えます(笑)。

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行人坂という名前の由来は、この坂の途中左手(目黒駅を背にして)にある大円寺にあります。
大海法印という高僧が寛永年間(1624~44)に大日如来を出羽の湯殿山から勧請して、この大円寺を開くのですが(本尊は鎌倉時代の釈迦如来像)、この際、この地域に巣くっていた悪人共を一掃し、これより大海法印を慕う修験道の行者たちがよく往来しはじめたので、「行人坂」と呼ばれるようになったといいます。

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お寺に入りますと、左手に水子地蔵や五百羅漢像が写真のように安置されています。なぜ、これほど多くの仏様が置かれているかといいますと、江戸時代の大火災として有名な「明和の大火」がこのお寺が火元となってしまい、亡くなった犠牲者を祀るためなのです。1772年、明和9年に起こった明和の大火では、江戸の1/3が焼け、江戸町民15,000人が亡くなったといいます(行方不明者は4,000人以上でした)。放火犯は、真秀という元坊主で、鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵の父親である長谷川宣雄によって捕縛されました。
この大円寺が再建されるのは、幕末になってからです。明和の大火の火元になったことから幕府から再建の許可は下りなかったのですが、幕末になってようやくあの島津斉彬の父である島津斉興が菩提寺と定め、再建されることになりました。

ちなみにこの大円寺は「放火」に縁が深いのか(そりゃあ、当然深いのですが)、境内には、井原西鶴の『好色五人女』や、紀海音の『八百屋お七』、菅専助らの『伊達娘恋緋鹿子』、為永太郎兵衛の『潤色江戸紫』、鶴屋南北の『敵討櫓太鼓』などで有名な八百屋お七が恋慕した生田庄之助が出家した寺(実際に出家したのは明王院。明王院は後に大円寺と統合)としての伝えも残しています。

縁結びの霊験高いお寺として有名です。
(最近、こういう話題のお寺しか紹介していない気がwww)

次は、五百羅漢寺に向けて移動です。


@だいすけ。
『ちなみに、この大円寺の目の前にある会社はホリプロだったりします☆』
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01:23  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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