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2009.10.20 (Tue)

そうだ、世田谷へ行こう。 2

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世田谷代官屋敷をあとにした後は、松陰神社通り商店街などを通り、松陰神社へ行きました。
松陰神社通り商店街は、碁や将棋の会所に地域のみなさんが集まっていたり、なかなか地域のコミュニティーがしっかりしている場所だな、と感じました。
言わずもがな、この神社には幕末回天の先駆者、吉田松陰が祀られています。

吉田松陰は安政の大獄に連座し刑死したことは、あまりにも有名ですが、享年30歳というのですから、驚きです。幕末の志士たちは本当に青年たちが多いですね。その短すぎる一生で、情熱を一心に傾けた彼らの行動力があったからこそ、時代は大きく変わったのだと思います。安政の大獄の4年後、吉田松陰の門下生であった高杉晋作などの手によって、この世田谷若林の地に改葬されました。神社所在地一帯は長州藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところです。
明治15年には、かつての吉田松陰の門下生たちが墓畔に社を築くことを決めました。現在の社殿は昭和3年に造営されたものです。

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境内には、萩に保存されている松下村塾が模造されたものが置かれています。「社会に根差す国民学校」を目指す修学院のスタッフとしては、吉田松陰が塾頭として鞭をふるったのはわずか2年にしかすぎないのに、時代を切り開いた人材養成学校「松下村塾」は、ある意味で、ひとつの目標なのです。少し感動してしてました。模造建築とはいえ、松下村塾は本当に小さな建物なのです。こんな小さな建物であるのに、時代を切り開いた人物が多く輩出されたことに、感動を覚えました。

境内には、吉田松陰の墓などもあります。
國想う人士は、ぜひ参拝されてください。

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松陰神社を出て、国士館大学の方向へ向かう途中に、吉田松陰と同様に長州藩出身で、後に第11・13・15代目の内閣総理大臣を務める桂太郎の墓があります。いわゆる西園寺公望とともに「桂園内閣」時代を創った人物です。しかし、個人的に想うことは、桂太郎は日本の中等教育での歴史教育ではあまり重要的に教えられていないのではないかなぁ、と思っています。日露戦争勝利の内閣総理大臣なのに、「桂園内閣」ばかり注目されますよね。在職日数2886日も歴代1位の総理なのに。。。
ちなみに、拓殖大学(当時は台湾協会学校)の創立者であり、初代校長でもあるのですが、こちらもあまり知られていないような・・・。現在の独協大学の校長もつとめていたんですよ。
他には、陸軍大臣など陸軍関係の要職を多くつとめ、台湾総督もつとめたのに、桂太郎よりも高評価を受けている人物の方が多いのはなぜなのでしょうか??当時の国民の評価も低かったことは確かですが、明治天皇の信任があつかったことなど、日本一級の人物であったことは間違いないと思います。再評価されることを望みたいと思います。

ちなみに、桂太郎の叔父である中谷正亮は松下村塾のスポンサーでした。
松陰神社の横に、自らの墓を建てることは彼自身の遺言であったようです。

松陰神社を後にした後は、国士館大学の前を通り過ぎ、烏山川緑道を歩き、世田谷城址公園を散策し、吉田松陰を刑死させた井伊直弼の井伊家の菩提寺である豪徳寺へ向かいます。


@だいすけ。
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16:11  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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