2017年08月 / 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Lancers.jp
--:--  |  スポンサー広告

2009.03.05 (Thu)

そうだ、京都へ行こう 09

20090305073919

20090305073917

20090305073916


御所を散策したあとは、バスに乗って、北野天満宮に行きました。
時間にして10分くらい。

もう梅が咲き始めている頃でした。
京都はそんな季節なんですね。
これを書いている時点では、北野天満宮の梅も満開になっているでしょうか?

祭神はもうご説明するほどでもないと思いますが、菅原道真です。
ぼくは福岡生まれなので、太宰府天満宮に必ず毎年行きます。
社殿の形がほとんど同じなので、とても不思議な思いがします。

文章博士の一族でしたが、宇多天皇にその才を見出され、国政改革に邁進した菅原道真でしたが、延喜3年(903年)好敵手の藤原時平に大宰府権帥として左遷されてしまい、その地で没してしまいます。その後、祟り恨みといった伝説が生まれるのは、皆さんご存知だと思います。

ぼく自身は、この菅原道真vs藤原時平というのは、国政改革に関する考え方の違いで対立したんだと思います。もちろん、ふたりがあまり性格があわなかったという記述が、「神皇正統記」「扶桑略記」などに書いてあるので、伝説はあながち間違っていないと思いますが。
しかし、菅原道真が左遷された後も、道真の子どもや彼が育てた官僚集団は藤原家に登用されて政治改革の一旦を担っていますから、当時の国政改革における派閥争いや志向の違いというのが、昌泰の変の背景にあったのではないかな、と思っています。

う~ん・・・どうなんでしょうね?
あまりにも、藤原時平が悪役になりすぎていて、真実が隠されているような気がします。


天暦元年6月9日(947年)、北野に菅原道真を祀る社殿が造営されました。その後も色々と増築・改築されていき、いまの姿になっていきます。

永延元年(987年)に初めて勅祭が行われ、一条天皇より「北野天満宮天神」の称が贈られましたが、「天神さま」「天満宮さん」などという呼び名が広まるきっかけになったのは、これが理由でしょう。
スポンサーサイト

Lancers.jp
07:39  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

Comment

コメントを投稿する

Url
Comment
Pass  編集・削除するのに必要
Secret  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://umemotodaisuke.blog54.fc2.com/tb.php/121-d49f5c22

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。