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2013.08.17 (Sat)

「今に見ていろ」と気概を持っていた日本国憲法制定時の日本人たち。

敗戦から幾十年たった今年の盆も、「敗戦」とはなんであったかを考えようと、一冊の本を手にとった。






なぜ白洲次郎なのか。
吉田茂の側近として終戦連絡事務局次長という要職にあって、GHQの占領政策、日本国憲法制定に立ち会った人物である。日本の戦後構造を創った人物と評価してもしすぎることはない。
彼がどのように戦後を創ろうとしていたのか、日本をどのようにGHQから護ろうとしていたのか、改めて確認したいと思ったのだ。


しかし、ひとまず、白洲の話を横に置く。


そもそも、日本国憲法は、占領軍であるGHQの手によって作られ、それがわずか9日間のうちに終わったことを知っている日本人も現在ではそう多くはない。

この日本国憲法案の作戦名はGHQ内部で「真珠の首飾り」と言われた。日本の民主化を担当したGHQ民政局の責任者であったホイットニーとケーディスの指揮のもと、同局内から選ばれた25名のメンバーが日本国憲法を日本人に代わって創っていく作戦であった。

しかし、そのメンバーのなかには、弁護士資格を持つ者が3名はいたが、誰一人憲法の専門家はいなかった。当時のメンバー自身も自分達が日本国憲法を創ることに戸惑いがあったようである。西修の『ドキュメント日本国憲法』では、以下のような発言をみることもできる。


ミルトン・J・エスマン陸軍中尉
「とても興奮しました。しかし、同時に私は、このようなことはとても不幸なことだと思いました。なぜなら、外国人によって起草された憲法は正当性を持たないと思ったからです。私は、民主主義を理解している日本人を何人か知っており、彼らに自国の憲法を作らせるべきだと思いました。そして、そのことを上司に述べたのですが、採用されませんでした」

O・ホージ陸軍中佐
「興奮しましたが、私には憲法を作る能力も知識もなかったので不安でした」


この日本国憲法制定の作業はGHQ内部でも極秘事項であり、ごく一部の者しか知らない作業ではあったが、後にこの日本国憲法制定に関する素人性に、GHQ内部からも批判があがっている。たとえば、このメンバーのなかで女性の人権に関する規定を担当したベアテ・シロタという23歳の女性(「憲法24条の母」と言われている)に対して、参謀第2部のウィロビー少将は、以下のように批判している。(もちろん、民政局に対する組織的対立の要素もあるだろう、この批判には)


ウィロビー少将
「民政局がいかに愚劣だったか、一例を挙げよう。民政局に、日本で生れた一人の若い米人女性職員がいた。彼女は戦前、日本警察と隣組に迫害を受けて、それらを憎んでいた。この娘に、民政局は隣組に関する報告書を書かせたのである。彼女は当然、隣組は解放すべきだと書いた。まったくバカげた報告書であった」(週刊新潮編集部『マッカーサーの日本』)


つまり、メンバーの選定になにも客観性がないと批判しているのである。

日本側もこのGHQ民政局のメンバーが作成した日本国憲法案に対して、多大な抵抗の努力をみせているが、結局のところ、GHQ民政局に押し切られている部分が大きい。それも、占領された側の悲哀というものだろう。事前にGHQが公職追放令を発し、GHQに抵抗できる大物の政治家やリーダーたちが数少なくなっていた、ことも日本側の力の弱さを示すものだった。

最終案が完成した際、憲法改正担当国務大臣であった松本丞治は、皇居に参内して、昭和天皇に開口一番、

「敗北しました」

と述べている。昭和天皇は日本国憲法案に抵抗できないことを了承しつつも、①皇室典範に関する天皇の留保権と、②堂上華族の存続は模索できないか、と要望をされていたことは現在分かっているが、GHQの占領の前に日本政府がその再交渉を行う余力は残っていなかった。

日本国憲法制定に関する日本側の調整メンバーのひとりであった白洲は、日本国憲法が生れたその日、以下のように書き残している。

「興奮絶頂ニ達シ正午頃ヨリ総司令部モヤツト鎮マリ、助カルコト甚ダシ、斯ノ如クシテ、コノ敗戦最露出ノ憲法案ハ生ル。「今に見ていろ」ト云フ気持抑ヘ切レス。ヒソカニ涙ス」(外務省文書「白洲文書」)


では、同じく大戦に敗れ、占領されたドイツではどうであったか。
アメリカが占領した西ドイツの戦後の統治に関する基本は、「ボン基本法」と呼ばれる法律であった。決してそれは、「憲法」と位置付けられなかったのである。
その第146条には「ドイツ国民が自由な決断で議決した憲法が施行される日に、その効力を失う」と定められていた。
ドイツは東西統一後も新たな憲法を制定していないものの、占領構造の性格が決定的に違っていたことに、我々は目を瞑ることができるだろうか。


日本国憲法を新しく創ることは、歴史的使命なのだと信じている。
それは「今に見ていろ」という日本人の誇りでなくてはならない。
僕はそう信じている。

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