2009年08月 / 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Lancers.jp
--:--  |  スポンサー広告

2009.08.26 (Wed)

8月29日、福岡での勉強会情報

20090826003453

8月29日に行います、毎月恒例の福岡での勉強会の情報です。ぜひ、お時間あれば、ご来場ください。まだまだ小さな個人の集まりの勉強会ですが、ぜひ趣旨をご理解くだされば幸いです。
(でも、台湾の李登輝元大統領より設立許可を頂きまして、日本国内にて唯一「日本李登輝学校」と組織名を冠することを公式に許された勉強会なんですけどね)


日時:8月29日13時30分開始
講師:堀雅文氏 (東京大学産学連携本部特任教授・三菱総合研究所前参与)
演題:『日本が描くべき政策ヴィジョンとは』
会場:西南大学コミュニティーセンター会議室 (http://www.seinan-gu.ac.jp/access/access.html)
目的:明治維新、戦後、とふたつの大きな変革を経験した日本の社会構造も、いまや時代の流れとともに新たな構造変革を迫られています。私たちが位置している現在社会を、この変革への転換期だと捉え、来るべき新しい日本社会をどのように「一新」すればよいのか、研究を深めることを勉強会の目的としています。


参加された方には、三菱総研未来社会研究チームが発行されている東京大学・三菱総研Proprius21共同研究冊子『2050年への政策ビジョン 希望ある未来社会実現のために今、何をすべきか』を差し上げます。


9月の勉強会は、13日(日)です。講師には、『新しい歴史教科書』などを実際に執筆されてきた中学校教諭の方をお招きする予定です。
Lancers.jp
スポンサーサイト
01:48  |  【 想う修学院のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.08.20 (Thu)

国士の志は、“国史”となる。

吉田松陰が萩の野山嶽に投獄されていた時に、玉木彦介の元服式で贈った「武士の心得 七カ条」というものがあります。松陰神社社務所でいただけます。

この文章を吉田松陰は26歳の時に書いています。
やはり、吉田松陰の天才性というのは、当時においても、群を抜いていたのでしょう。

20090820204527


明徳出版社から出ている『吉田松陰』(倉田信靖著)には、この士規七則の現代訳がこう書かれています。


----- 以下、倉田先生の訳 -----

書物を開けば、そこに人間が学ぶべき立派な言葉を見ることができる。しかもその内容は、読む者の心をうつのである。考えるに、人々は折角の書物を読もうともせず、仮に読んだ者でも、その読んで得た知識を行動に表すことをしない。真実、書物を読んで、その知識を実践したならば、幾千万年にわたって実践したとしても、実践しつくすことはないのである。ああ、ことさら何も言うべき言うことではなく、実践すれば良いのである。しかしながら、真実、知っていたならば、そのことを言うのは、まさに人間当然の情である。昔の人は、昔の人なりに言い、今私もまた私の言葉をのべることにしよう。何も気にとめることはないのである。

よってここに士規七則をつくる。


一、人間として生まれたならば、人間が鳥や獣と違う条件を知らなければならない。思うに人間には五輪(父子あり、君臣義あり、長幼序あり、朋友信あり)の道徳理念が必要であって、その中でも君臣の関係、父子の関係が最も大切である。ですから、人間が人間として存在するための条件は、忠と孝を基本とする。

一、天皇をいただくわが国に生まれたのであるからには、わが国が天下に貴重な存在であることを知らなければない。思うに、わが国は万世一系の皇統のもとにあって、士と家老などが、その地位身分を世襲しているのである。人の君たる者(大名)が民衆を養い、祖先の拓いた事業を継承し、それぞれの立場で忠義をおこない、父の志を受け継いでいる。そのことは、君と臣が一体のものであり、かくして忠と孝が一致するということになるのである。このことは、わが国だけの特徴といえる。

一、武士の道として大切なことは、義ということである。その義は勇気によって実践され、勇気は義を理解することによって、より大きく成長する。

一、士の行いにおいては、真面目で、飾り気なく、人を欺かないことが肝要である。人をごまかし、いつわり、自己を飾ることは恥とする。士が道理を正しく、心が潔白であることは、これらの理由に基づくのである。

一、人間でありながら、古今の出来事に暗く、聖賢を教えの先生としない者は、心の賎しい男である。読書を好み、昔の賢者を友とすることは、君子のなすべき事である。

一、徳を立派に磨き、秀れた働きのできる人物になるためには、恩師や、有益な友人の多いことが条件である。したがって君子は人との交流において慎重である。

一、「死して後巳む」という文字は、言葉しては簡単であるが、そこには深い意味がこめられている。意志が強固で忍耐強く、そして決断力があり、絶対的に、その志を変えることがない場合には、この言葉をもって表現するのが最適である。


以上、士規七則であるが、これを要約して、三ヶ条(三つの要点)とする。すなわち「志を立てることを物事全ての出発点とする。交流する相手を選ぶことによって、仁義の行為を学ぶことができる。書物を読むことによって、古来からの聖賢の教えを学ぶことができる」と。士は、真実このような言葉から自得することができるならば、学徳の完成された人とすべきである。

20090820204529


Lancers.jp
20:45  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.08.16 (Sun)

「西村くん、僕たち気分は完全に海老フライだから」  ごはんを食べると元気になるよね。

20090816215525
堺雅人さんが主演している『南極料理人』を見に行きました☆いわゆる、個性派俳優さんばかりで、演技が味わい深い♪でも、だからこそ、というべきかもしれませんが、無理なく楽しめる娯楽映画でした(*^□^*)。

でも、本当は、ペンギンも、アザラシも、病原菌もいない極寒の地(平均-54度!?)に1年以上閉じ込められたら、ぜったいにおかしくなりますよね。ぼくはぜったいにイヤです。1~2年も、な~んにもない世界で、家族ともほとんど連絡をとれないなんて、ぼくには無理な生活です。これは、現代のヒーロームービーなのかもしれません、ひょっとしたら。




家族連れが大変多い作品でした。子どもも笑える大人な映画。おもしろいですよ。



(以下、シネマトゥディより)

解説: 南極観測隊に料理人として参加した、西村淳原作のエッセー「面白南極料理人」を映画化した癒し系人間ドラマ。南極の基地内で単身赴任生活を送る8人の男性たちの喜怒哀楽を、数々のおいしそうな料理とともに見せる。料理人を演じるのは、ここのところ『ジェネラル・ルージュの凱旋』など話題作への出演が相次ぐ堺雅人。共演の生瀬勝久や高良健吾ら新旧の実力派俳優たちとともに、絶妙のアンサンブルで展開するユーモラスな物語に魅了される。

あらすじ: 西村(堺雅人)は南極の昭和基地からも遠く離れた陸の孤島、南極ドームふじ基地に料理人として派遣される。妻(西田尚美)と娘を置いての単身赴任生活で、彼は8人の男性南極越冬隊員たちの胃袋を満たすという大役を任される。基地では雪氷学者(生瀬勝久)をはじめ、雪氷サポート隊員(高良健吾)らが彼の料理を心待ちにしており……。
Lancers.jp
21:55  |  【 こんな映画をみました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(1)

2009.08.15 (Sat)

安らかにお眠りあれ。

20090815181059

偶然、東京に帰ってまいりましたので、靖国神社に参拝してまいりました。

誰が参拝するなどしないなど、問題になりますが、ぼくはまったく問題にするべきではないと思っています。

総理の『靖国神社は政局からもっとも遠くにあるべきだ』というお考えもひとつのご見識だと思いますし、『なぜ敗北した日に、参拝しなければならないのか』や、『日本国の総理だからこそ、8月15日は靖国神社に行くべきだ』というお考えなどもその感情は理解できます。

理解できないのは、『中国や韓国に配慮して参拝しない』というお考えと、ご親拝されるにせよ、されないにせよ、勝手に『陛下のご聖慮を鑑みれば…』と国民にあるまじき態度をとるひとがいることです。

ぼくはふだんは、8月15日は靖国神社には参拝しません。地元である福岡の護国神社か、東京都慰霊堂に行きます。護国神社へは、その前を通る度に、参拝させていただいています。

誰がいつどこにいくのかも構わないと思っています。ぼくは個人的には、慰霊堂のような方にもっと保守派のひとは行くべきだと思っています。あちらは、身元不明の方がまつられています。政治の責任を考えたとき、こちらのほうが重要だと思うのです。千鳥が淵もあります。重要なのは、どこに行くのではなく、なにを想うかだと思うのです。

靖国神社への総理や政治家の参拝を否定する人間ではなく、肯定し、自分も行く人間だからこそ、こういう意見を言いたいと思います。

総理の不参拝を批判するひとには、例大祭をどう考えるのか聞きたいですし、8月15日が果たして本当に妥当な日なのか聞きたい。


20090815181102



ぼく自身は、先の大戦を総括する日は9月6日であるべきだと思っています。8月15日以降も、日本の国民はソ連の進攻などでお亡くなりになっています。ソ連の進攻が終了するのは、9月5日です。だからこそ、ぼくは翌日の6日を大切にしています。

ほかの日のほうが大切だと思うひともいるでしょう。たとえば、5月3日であったり、9月2日であったり。

結局は、視点の違いにしかすぎません。想いは同じなのに、保守派のなかで足を引っ張りあう。排斥しあう。それがどうしても、許せないのです。

また、8月15日に特別、靖国神社にて街宣をされたり、過剰なビラ配りをしたり、シュプレヒコールをあげたりされるひと達がいますが、それが果たして、この特別な日にやるべき行動でしょうか?

それこそが正しいと思われる方もおられると思いますし、ぼくはこの日は特別な運動をしていないのですから、批判も否定もしません。

ただ、英霊の方々を、静かに安らかに眠らせてほしいのです。まだアジアの海々にはあがっていない遺骨がたくさん沈んでいます。そういう、色々な想いが交錯するとき、『靖国で会おう』と誓いあった英霊の方々の眠りを騒がせるのは、できるだけ控えてほしいと思うのです。


20090815181104


いまは、友人を待つために、九段会館でケーキを食べながら待っています。九段会館は、旧軍人会館であり、2・26事件の舞台になった場所でもありました。

想う、憂うことはたくさんあります。この国は、いまどこに向かっているのでしょうか?
Lancers.jp
18:11  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.08.11 (Tue)

千葉はなぜか遠い?!

写真は上から、堀田邸、佐倉順天堂、国立歴史民俗博物館です。

20090811185621
だいすけです。
先日、お仕事で千葉の佐倉に行ってきました。佐倉城を中心に、大変歴史豊かな町ですが、なぜこんなに遠く感じるんでしょう(笑)?

20090811185620
たとえば、逆方向の鎌倉だって、都内から同じくらいかかるのに、千葉行きはぐっと疲れます。

20090811185619
たぶん、千葉に行くというよりも、佐倉とかは成田に行くって感覚が強いからなんでしょうね。ほら、成田って海外に行くわけだから、『疲れる』っていう先入観があるんだと思います。


@だいすけより。
「国立歴史民俗博物館に行かれたことのない方はぜひ行ってみてください。いまどき、これほど堂々とした“階級闘争史観”びっしりの展示方法を見たことがありません。あまりに見事な左翼ぶりに拍手を送りたいと思います。博物館というよりも、研究施設の機能が強いでしょうから、あまり多くは語りませんが・・・身内がいっぱいいそうなので(笑)。でも、民俗博物館ならもっと民俗学的なことを展示すればいいのに・・・。」
Lancers.jp
18:56  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.08.11 (Tue)

お祭りに行ってきました☆

20090811181357

先日、阿佐ヶ谷の七夕祭りに行ってきました。

20090811181356

最初は小さな商店街のお祭りだったものが、いまでは日本三大七夕祭りのひとつに成長しました。

20090811181355

何事も継続ですね。

20090811181354

戦後小さなところからはじまって、いまやこの大きさ。
ぼくはこのお祭りは、戦後日本の復興に努力してきた人たちの「証跡」だと思うんです。


@だいすけ
Lancers.jp
18:13  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.08.05 (Wed)

教育再生の鍵は、『感じる力』!

20090805162813


20090805162811


20090805162809


教育には様々な問題がありますが、ぼくはカリキュラム論というか、方法論というか、教育が教育であるという責任性というものが、教育現場のシステムから解体されてしまったことが、課題として解決しなければならない最大の問題だと思っています。

具体的にどういうことかというと、『命の重みを感じる力』『痛みを感じる力』を現在の教師たちや教育システムは子供たちから奪っているのだと思います。

痛みをしらないから、相手に暴力をふるい、ときには殺してしまう。
それは心でも、肉体でも。
命の重さを知らないから、命を奪ってしまう。
それは他人のものでも、自分のものでも。

痛みや重さを理解していれば、相手を傷つけようとする野性は抑えられるはず。仕方なく相手を攻撃するときも、その『限度』を理解できると思うのです。

いまの青少年犯罪の最大の特徴は、その限度を『無意識』に越えてしまってしまうことにあるのだと思います。その原因は、やはり教育です。

デューイの児童中心主義が歪曲化され、戦後民主主義が暴走している姿が、現在の教育の姿ではないでしょうか。

幼稚教育の現場では、危ないからという理由でジャングルジムが撤去されていたり、汚いからという理由で砂場に消毒液をまいたりしています。しかし、確かに危ない遊びでも、その危なさや痛さで子供は判断力というものに磨きをかけていく。汚さのなかで免疫力をつけていく。そういう当たり前が、教育ではないでしょうか?

いま、学校現場では、飼育小屋がなくなっていっていると聞きます。
先日、50代の中学校教諭の方々だけとぼくが車座になって、教育政策を考える会を開きました。

この時も、こういうような話題をなげたのですが、先生たちがみな、飼育教育は土日や正月のことを考えれば教員の迷惑、部活は教育活動ではなくサービス残業である、と口々におっしゃっていました。

ぼくは正直にいうと、とても驚き、悲しみました。たしかに、教員は“事務屋”と化してしまい、これまで以上に職務のあり方が煩わしいと思っているひとは多いでしょう。しかし、だからこそ、『聖職』である教師が“道を耕す”本来の使命に戻ってほしいと思います。

先日、ぼくらの勉強会に東京都獣医師協会の副会長である中川美穂子先生が、ゲスト講師に来てくださいました。お話の内容は、いまの飼育行政や子供たちの飼育活動の現状であったのですが、いつも思うのは、中川先生のお話には『日本飛翔』のヒントがちりばめられている気がするのです。心ゆたかな子供を育て、社会への責任感も自覚させるためにはどうすればよいか、その意識はすべての問題につながっていると思うからです。ですから、数いる有識者のなかでも、ぼくは中川先生の講演がいちばん好きです。

日本再生は、ひとりひとりがまずは家庭から、学校から、職場から、地域から責任感をもって変えていかなければ成し遂げられないと思います。

だからこそ、そのコアとなる教師の責任は何よりも重いのです。日教組の方々の主張と同じように誤解されながらも、ぼくがいつも『教育権の独立』を実現しなければならないと声高に主張するのはそういう意味だからです。


@だいすけより。
Lancers.jp
16:28  |  【 想う修学院のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。