2009年05月 / 04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Lancers.jp
--:--  |  スポンサー広告

2009.05.30 (Sat)

官僚制社会主義国家・構造を打破しなければならない。

福岡修学院2009-05-01

5月第3土曜日に行われた講座では、ぼくが講義を担当しました。
(6月の都市論、7月の現代社会犯罪論、もぼくが担当します。その後は、講師の招聘や受講生各自の研究発表を予定しています)

ぼくの講義は、「日本一新」というテーマを設定しています。

この講座の目的は、
明治維新、敗戦・復興、とふたつの大きな変革を経験した日本の社会構造も、いまや時代の流れとともに新たな構造変革を迫られている。我々が位置している現在社会を、この変革への転換点だと捉え、来るべき新しい日本社会(文化、経済、政治などその幅は広い)をどのように「創造」すればよいのか、具体的な政策提言・研究を行うことを講座の目的とする。
というところにあります。

福岡修学院2009-05-02


福岡の問題、日本の問題、そして世界の問題、これらはなにも政治家や官僚だけの世界の問題ではありません。ぼくたち、ふつうの国民もまた、普段の生活のなかにあって、常に国家の危機と隣り合わせで生きています。ぼくたちが払う税金が道路となり、橋となり、行政サービスとなって、生活を支えているのですから。

福岡修学院2009-05-03

今回の講義では、「日本病とはなにか 特別会計にひそむ国家の危機」と題して、財政論をしゃべらせてもらいました。講義終了後、参加者の皆さんが、口々に「こんな国家財政を放置していて、日本は滅びないのか?」とコメントしてくださったことに、感動もしており、ぼくがお伝えしたかったことをきちんと受け止めていてくださり、大変感謝しています。

講義の合間の映像資料として、かつて東京都世田谷区から衆議院議員(民社党)に選出されていた石井紘基さんのドキュメンタリーを使いました。
ドキュメンタリーそのものはYoutubeに落ちています。
ぜひ、探してご覧ください。

ほんのさわりだけご紹介いたします。



福岡修学院2009-05-04

会計検査院の権能は、少しずつ拡大していき、独立した最高の監査機関として成長しつつあります。会計検査院法の改正により、会計検査院の検査対象は拡大されましたし、検査対象には検査を受ける義務が定められたなど、少しずつ少しずつその名に値する組織へと改革されていっていることは確かです。しかし、まだまだ不十分な点も散在しています。

自民党が悪い、民主党が頼りない、というレベルの話をするのではなく、本当に「国民と政府」の両者があい互いに信じ、国家の未来のために尽くしあえる制度や政治・行政文化に変えていかなければなりません。

そのための議論の場が、この講座であり、“TEAM梅本”だと思っています。

この福岡から日本を変える、そんな気概をみなで持ちたいと思います。
Lancers.jp
スポンサーサイト
21:27  |  【 想う福岡のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.05.05 (Tue)

そうだ、唐津へ行こう 1

20090505181644

唐津にも行ってきました。
唐津城は子どもの頃から何度も行っているのですが、本当に美しいですねぇ。

20090505181629

ついでに、市内にある鰻屋さんに行ってきました。
「竹屋」さんといいます。

20090505181636

梅本家は、ここの鰻が大好きなんですよ☆
Lancers.jp
18:16  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.05.05 (Tue)

そうだ、有田へ行こう 2

20090505153025


車を停めた駐車場のうえに、神社がありました。
「石場神社」といいます。
朝鮮から連れてこられ、日本で陶器の祖となった李参平の磁器製座像を祀っています。


20090505153034


李参平とは (Wikipediaより)

忠清道金江(現・忠清南道公州市反浦面)出身。1592年(文禄元年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、有田を含む肥前の領主であった鍋島直茂が日本に連れて来た陶工たちの一人で、金ヶ江三兵衛の名を与えられた。

なお、今日一般に呼ばれている「李参平(李三平)」という朝鮮名は、金ヶ江三兵衛が参平(あるいは三平)とも記されること、金ヶ江家の文書に本来の姓が李氏であったと記されることから、後世推測された名である。

はじめ鍋島直茂の重臣多久安順に預けられ、小城郡多久に住んだ。一般に知られている説話によると、李参平は磁器生産に適した白磁石を求めて鍋島領内各地を転々とし、1616年(元和2年)に有田東部の泉山で良質の白磁石の石場を発見した。李参平はここに天狗谷窯を開き、日本初の白磁器を焼いた。これが有田焼の起こりである、という。

有田の龍泉寺の過去帳には、1655年(明暦元年)没、戒名・月窓浄心居士と記されている。李参平の墓所は長らく忘れ去られていたが、1959年に天狗谷窯付近で戒名を刻んだ墓石が上半分を欠いた形で発見された。現在は墓石は白川墓地に移され、「李参平の墓」として有田町指定史跡となっている。

Lancers.jp
15:30  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.05.05 (Tue)

そうだ、有田へ行こう 1

20090505152853

陶磁器の町、有田に行ってきました。
陶器市だったので、すごいヒトでした。


20090505152901

個人的に感動したのが、古賀峯一提督の「生誕の碑」があったことです。
陶器市に来ているヒトで、どれだけこの碑に気付いたヒトがいるのでしょうか(汗)?


Lancers.jp
15:29  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(1)

2009.05.05 (Tue)

もう憲法の個別条文改正にこだわるのはやめよう。

20090505002642


多くの先輩同輩の皆さまからご批判を受けるだろうとの覚悟をもって書きます。

結論から言えば、ぼくは「創憲」論者です。
あえていえば、「大改正」「全文改正」という立場です。

ぼく自身は保守派に属する者と思っていますが、現在の保守派の一部が主張する「日本国憲法無効論」には大変な危うさを感じています。
だからこそ、いわゆる個別的な「改正」論や「無効」論には反対をしているのです。

なぜか?

現在の日本国憲法は、明治憲法と連続性ある憲法、もっと言えば、神代から続くわが国の紐帯の象徴だと思っているからです。たしかに、戦後憲法学者の方々の定説は、民定憲法です。
しかし、全文の前に
朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
と勅諭が公布されているように、どのような内容であれ、天皇大権の元に継承性があるのです。
個別条項の改正対応や、占領状態での制定であれ、欽定憲法という性質を維持しているのではないでしょうか。
だからこそ、ポツダム宣言も「無条件降伏」ではなく、「有条件降伏」として考えることができ、神代から一度も滅びることなく続いた世界最長の王朝国家たりえた、といえることができると思うのです。

日本国憲法改正の制定手順はあくまでも【どんな圧力があったとはいえ】帝国憲法に沿ってなされていきますが、その歴史はこちらのページをお読みください。


この継承性をもっとも重視しなければ、憲法無効論とはぼくたち保守派がもっとも護持しなければならない「天皇制」(あえてこの用語を使います)を否定してしまうというロジックを今後気づかぬうちに築きあげてしまうのではないか、その怖さをぼくは憲法無効論や憲法改正論に感じているのです。

もちろん、憲法は国民が時代状況によって、国民が改正すればよいと思います。
しかし、憲法そのものがどのようなぼくたちの所有物なのかを議論しないで、ただ単に条文を玩具としてもてあそぶのは危険すぎます。

もちろん×2、現在の日本国憲法をはじめ占領期になされた諸政策はすべてハーグ陸戦条約に違反しているのは確実だと思います。しかし、このロジックも危険だと思いますが、なによりも戦後議会の改正手順を無視するような議論は、戦前の日本が築き上げた憲法政治、民主政治を否定するただの反動主義に陥るのではないのか、と思っているのです。


だからこそ、日本の國體をまもるために、日本国憲法という戦後民主主義の象徴にこだわることなく、「全文改正、新憲法創造」というスタンスで憲法を「抱きしめれば」(ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」)よいと思うのです。
わが国が戦後民主主義の呪縛から脱し、「自由と民主と伝統を愛する国家」として新たな一歩を踏み出すためには、「全文護憲」「個別改憲」「現憲法無効」という立場ではダメだと思うのです。


これが、ぼくの「憲法個別条文改正論議不要論」なのです。
お叱りを受けることを覚悟して、書かせていただきました。


しかし、重要なのは憲法ではないはずです。
Lancers.jp
00:26  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.05.04 (Mon)

変えなかったら、どうなるのか

20090504224101

20090504224054

20090504224046


5月3日、西日本新聞の社説はやはり日本国憲法に関してであった。
朝日新聞・北海道新聞と並ぶ左翼新聞だけに(しかし、こと台湾に関してはどの新聞よりも詳しく特集を組んだりします。福岡という土地は不思議な街ですね。右翼にとっても、左翼にとっても、源流と呼べるような街なのですから)やはり憲法9条改正反対というのが、その日一日の新聞全体を飾った内容でした。

新聞は公器ですから(彼らもそう自称していますし)、当日の社説の最後部分を紹介・転載いたします。


日本には世界有数の装備を持つ自衛隊が存在しており「戦力不保持」の規定を維持しているのは矛盾だ。「交戦権を認めない」ということになれば、国を守る自然権まで否定することになり、不法な攻撃に抵抗することもできない。九条改正論の論拠です。
確かに現実との矛盾やずれを解消することは必要でしょう。しかし、九条が果たしてきた役割を見逃すわけにはいきません。改正したとしても、「戦争の放棄」を誓うのですから「領域外での武力行使は絶対にしない」との歯止めは不可欠でしょう。
時の国際情勢や日米同盟の「現実」に流されるのでなく、三十年-五十年先を見据えた安全保障論としての憲法規定でなければ、将来に禍根を残すことになりかねません。
「いま九条によってどういう恩恵があるかは見えにくくても、なくなったらどうなるのかを想像すれば、その性質がはっきりする」
先述の後藤田さんとの対談で加藤周一さんが遺した言葉を、憲法記念日にかみしめたい。


※後藤田=後藤田正晴元副総理(自民党)


現実矛盾を解決するための九条改正の姿勢は、まるで「侵略国家への変化」や「理想の放棄」などのように表現されるが、果たしてこのロジックは正しいのでしょうか?
いや、おそらくこのような思想を持つ人々にとっては、ゼッタイ的な正義なのでしょう。

しかし、考えてみたいと思います。

変えなければどんな国になるのか

なぜ九条を改正すれば、「戦争への道を開くおそれがある」というロジックになるのでしょうか。
むしろ、「戦争」とはなんなのか。
このような議論をせずに、ただ憲法九条による武力不保持を「決して心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に正しいことくらい強いものはありません」(文部省「新しい憲法の話」)と掲げることが、平和というものを維持することになるのでしょうか。

平和追求・戦争廃絶は人類の永遠の望みです。
それはぼくも変わりはありませんし、ぼく自身も「段階的武装解除論」者です。

しかし、ぼくたちの平和はただ眺めているだけ、唱えているだけでは平和は訪れないのです。
そのような環境を実現するだけの保障力が必要です。
実際に「国際社会」の中でわが国に対する脅威が存在する以上、自分たちの国民を、国土を、守れない国家や政治家が、どのような説得力をもって平和を保つことができるのでしょうか。


昭和25年(1950)1月1日、わが国に新らしい憲法を押し付けたマッカーサー元帥は、「年頭の辞」で、

「日本はただ憲法に明示された途(みち)を迷わず、揺がず、ひたすら前進すればよい・・・・・・この憲法の規定は日本人がみずから考え出したものであり、もっとも高い道義的理想にもとづいているばかりでなく、これほど根本的に健全で実行可能な憲法の規定はいまだかつてどこの国にもなかったのである。・・・・・・この憲法の規定はたとえどのような理屈をならべようとも、相手側から仕掛けてきた攻撃にたいする自己防衛の冒しがたい権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない」

と述べています。
なんと皮肉な憲法観でしょうか。


憲法九条、それは平和への意思と力です
まさにその通りなのです。

Lancers.jp
22:41  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。