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2009.04.14 (Tue)

そうだ、月島へ行こう 3

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建築のことはよく分かりませんが、この佃大橋というのは、とてつもない技術力で建設されたことがうかがえる代物らしいのです。色々ネットで検索して、その技術力の高さは十分にわかったのですが、これをどうやって簡単に読者の方に説明しようかと悩んでいたら、やはりそこはwikipediaでした。
賛否両論あるかもしれませんが、非常に説明が簡単です。

本橋は個性的なデザインの多い隅田川橋梁群の中で、一見無個性で無粋な橋といわれがちであるが、大ブロック工法など、当時の技術の粋を凝らし、オリンピックに間に合わせるために急ピッチな架橋など、むしろ戦後に急速な復興を遂げた高度成長期の日本を象徴した橋といえる。

(以上、佃大橋の説明より)

戦災にあわなかった月島・佃・築地のこの地域を結ぶ佃大橋は、戦後復興の象徴。
これほど、この企画に合致している景色もないと思います。
戦中の遺産が残りながら、隅田川を眺めれば、その景色はどんどん近代化している。
まさに日本の縮図が、この景色におさまっていました。
しかし、まぁ、東京の富裕層の象徴である大川端リバーシティ21が橋の向こうに見えますが、まるでバビロンにみえるのはぼくだけでしょうか?

そっと目をつぶると、この街がまだ「江戸」という名前だったころの景色も浮かんできます。
この隅田川の上を、何艘もの船が行き交い、水の都として栄えていた「江戸」という町を想像できませんか?街を歩く楽しみ、というのはこういう考えをめぐらせることができることだと思っています。

橋を渡れば、そこはもう佃になります。
もともと、佃嶋というのが町の名前でした。徳川家康が関東下向の際に摂津国佃村から連れてきた漁師33人が、埋め立てて築島し、住み始めたのがこの佃島という町です。この時に、摂津の佃に鎮座する住吉社(現:田蓑神社)の分霊を勧請したのが、この写真の住吉神社になります。
その後、近代化を経ていくなかで、この地域は石川播磨重工の拠点となっていき、現在では、石川播磨の造船所跡地を再開発して、東京に住む政治家や文化人、芸能人、実業家が住み集まる高級高層住宅ビル群になっています。
ぼくが、バビロンじゃないか、という意味がわかるでしょ。

上をみあげれば高層マンション、下を歩けば戦前の景色がそのまま保存されている下町、この東京でもめずらしいデュエル・シティ(異なる二つ以上の階層の人々が混住する街)は、かつてフリッツ・ラグの作品に影響を受け、手塚治虫が描いた『メトロポリス』のようです。


なぜ、フリッツ・ラングと手塚治虫のこのメトロポリスという作品が重要かというと、ある講演でぼくはこのように語らせていただいたことがあります。

本作において、その「都市像」や「社会構造」の捉え方も非常に重要なポイントである。
科学技術の粋を結集して造られた富裕者層が住む地上世界と、スラム化しロボットが歩き回る地下世界は、あきらかに現代社会の都市フォーマルとインフォーマルを描いている。トダロ・モデル(期待賃金によって適格労働力の動向が左右され、経済構造の3部門間の調整によって経済成長が展開される、という開発経済学の1理論)では開発途上国の方がインフォーマル部門(スラム街など)が大きく先進国ほどその規模が小さいと説明されるが、都市化が進んでいる国の方が経済成長率が高いとはいえ、内包しているインフォーマル部門の根源的問題は一層深刻化しているのではないか、ということを本作では訴えているように思えてならない。
またロボットという存在によって生活保障を奪われた人々の存在は、今後の日本の姿を想像できて面白い。高度経済成長を支えてきた産業ロボットなどではなくて、将来本当に人型ロボットと共生する時代が到来して、そのような問題が起きるのかもしれないし、直近で予想されることといえば、あのロボットを外人労働者ともみなせるのではないだろうか。
日本はぺティー・クラークの法則のように産業変化したのではなく、第2次・第3次共に成長し、インフォーマル部門を上手く社会が吸い上げ、労働力の二重構造も比較的世界諸外国と比べれば混乱なく経済成長出来てきた(勿論、横山源之助が「日本の下層社会」(1899)で書いたように、明治期においてはその人口流動からインフォーマル部門が急激に展開されたし、1925~60年の間にも種々の理由で二重構造の拡大が連続化されたのは歴史的事実である)わけであるけれども、構造(規制)改革下で社会変化をもたらしている現在、このような問題設定は大変意義深いように思える。
少なくとも、戦後すぐにこのような問題性を作品の中に取り込んでいた手塚はやはり天才であるのだろう。


少しは、この「都市構造の未来」について、興味をもたれたでしょうか?
こさんぽ企画とは関係ないかもしれませんが、大変おもしろい作品ですので、ぜひ、1度は、ご覧下さい。



ちなみに、住吉神社の話に戻りますが、注意深くみていただきたいのは、その扁額です。
明治天皇陛下が北海道より還幸されるときに有栖川宮幟仁親王が出迎えられた際に、途中で立ち寄られた住吉神社で書かれたものです。
“歴史発見”という意味では、要チェックですよ。
また、神社のなかには、東洲斎写楽の碑もあります。
ここが彼の終焉の地なのだそうです。
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2009.04.14 (Tue)

そうだ、月島へ行こう 2

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昔、修学院の勉強会の会場は築地にあったのですが、その時も築地本願寺には立ち寄りませんでした。東京に住んでいたら、東京タワーを見に行かないのと同様に、有名すぎる施設というのはなかなか見に行きませんよね。しかし、せっかく築地に来ているのだから、築地本願寺を見学しよう、と境内に入りました。

築地本願寺といっても、それは通称で、正式な名称は
浄土真宗本願寺派(西本願寺)本願寺築地別院といいます。

境内に入るといっても、おおよそ、お寺らしからぬ(!?)雰囲気です。
詳しい写真や説明は、築地本願寺さんのHPをみて欲しいですが、仏教のシンボルである「蓮の花」が中心にイメージされているからでしょうが、やはり日本的というよりも、ペルシア文化に近かったギリシア、もしくは見方を変えればインド仏教の建築に見えます。

(築地本願寺さんのHPによれば、関東大震災で崩壊した本堂の再建では、東京(帝国)大学工学部教授・伊東忠太博士の設計による古代インド様式で昭和六(一九三一)年に起工、三年後の昭和九(一九三四)年に落成され現在に至っています。と書かれています)

外観がそうかと思えば、中は見事な真宗寺院の造り。
しかし、驚くべきは、その見事なシャンデリアとパイプオルガンではないでしょうか。
これは、一見の価値がある美しさです。
あとで知ったことですが、ご本尊の阿弥陀如来は、聖徳太子の御作だそうです。もっと、注意深くチェックしておくべきだったと反省しています。

この築地本願寺のおもしろいところは、ランチタイムにコンサートをやっていることです。オルガニストを中心に、クラシックの演奏会をやっているようなのです。これは、ぜひ1度聞きにいきたいですね。他にも、色々とお話を聞いてみると、インディーズバンドのライブもやってみたり、となかなかチャレンジ精神の高いお寺です。最近、よく寺院を音楽活動やその他イベントに開放するお寺さんが増えましたが、社会ときちんとコミュニケートしていくそういう姿勢はとっても大事だと思います。でも、よく考えたら、宗教本来の布教のあり方は、そういう係わりあい方が重要だったのかもしれませんね。


築地本願寺を抜けて、聖路加国際病院の方向へ向かいました。
佃大橋を渡る前までの一帯は、ほとんど聖路加グループ(あえて)の敷地と言っていいくらいですが、それもそのはず。もともと、この聖路加国際病院というのは、イギリス国教会長老派の宣教医師ヘンリー・フォールズや聖公会の宣教医師ルドルフ・トイスラー(そのため、デザインはトイスラーの出身地であるボストンのマサチューセッツ総合病院がイメージされている)が創立したものですが、関東大震災後には、皇室の多額の寄付で再建されています。アメリカの赤十字や聖公会の尽力や資本もありましたかせ、うがった見方をすれば、そのために戦中はこの地域は戦災を免れたかもしれませんね。

しかし、そんなことよりも、大変綺麗な建築物です。
また、桜の時期でしたから、大変見事な景観でした。
無機質的にみえる病院というものが多いですが、この聖路加は味わい深い建物ですね。

聖路加病院といえば、やはり日野原重明先生をあげなければならないのではないでしょうか。
過剰投資と批判されつづけながらも、病院施設を拡大していった日野原先生の功績は大きいと思います。とくに、地下鉄サリン事件の時には、聖路加病院は大変な活躍をしてくれました。これも、日野原先生が、東京大空襲の時に国民に対して満足な医療行為ができなかったという悔しい思いがあるからだといわれています。戦争や震災がおきても、しっかりと医療行為ができる拠点病院(野戦病院)をつくらねばならない、という日野原先生の決意には、戦争を知らない世代のひとりとして深く多くのことを考えさせられます。

医療行為とは医者だけではなく、看護士も含めた多くの医療従事者の仕事であるというスタンスもまたぼくは共感できます。98歳というご高齢にもかかわらず、日本のため、命の尊厳のために、働き続けておられる日野原先生には、「敬服」という言葉しか出てきません。ますますのご活躍とご健康を願ってやみません。

ぼくは日野原先生の本を読むと、いつもさだまさしさんの「風にたつライオン」を思い浮かべます。
あれも実話なのですが、本当に世の中には立派な方ばかりですね。


聖路加国際病院を抜けると、とうとう隅田川にかかる佃大橋が見えてきます。

この手前に、志ほせ饅頭で有名な塩瀬総本家さんがあります。
ここに、本店があるとは知りませんでした。

しかし、日本はやはり伝統と歴史のある国ですね。
なにせ、この塩瀬さんは創業から約650年続いているんです。室町時代からず~っとやっている。それも創業当初から「天下第一」の味として、お店をつづけている。これはとてもすごいことです。
でも、とてもすごいことだけれども、そういうお店は、業種を問わず、日本には沢山あります。
これこそが、麻生総理がいわれる「日本の底力」だと思います。


「志ほせ」饅頭、とってもおいしいですよ☆


ある中国人の友人が言っていました。
本当の「中華文明」や「中国文明」などすでに存在しない。そんなものはすべて日本に伝来して、日本が昇華して、継承しつづけている。だから、もし「中華文明」があるとすれば、それは「日本文化」だ、と。
そこまで、自分の国の歴史や文化の断続性を嘆かなくてもいいじゃないか、と聞いていて思いましたが、こういう中国からもともとは伝来して日本で老舗としてのこっているお饅頭屋さんなどをみていると、そういう「継承力」こそが、日本の力なのかな、と思いました。

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20:32  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)
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