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2008.12.27 (Sat)

呉善花氏の講演会をやります。

来年1月の日本李登輝学校修学院(学校長:李登輝 院長:久保田信之)とアジア太平洋交流会(会長:小田村四郎 代表理事:久保田信之)の勉強会は合同で行います。ぜひ、おこしください。


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02:44  |  【 想う修学院のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2008.12.18 (Thu)

ユダヤ人の歴史、そしてその問題。

映画『アンネの日記』を見ていて、ひとつ気になったことがある。
「なぜそこまでユダヤ人が嫌われたのか」。



この問いはアドルフ・ヒットラーの出生の問題や当時のヴァイマール共和国が第一次世界大戦後に蒙った財政状況からの経済体制変化等が根本原因として今まで「ユダヤ迫害」という問題を起こしてきたと論じられてきた。しかし、この問題はある意味では歴史の必要悪であった彼( 彼の行動を肯定したのではない。少なくとも彼の登場によって、カール・シュミットが唱えた国家の危機を救う委任的独裁の形式でドイツ経済は立ち直り、多くの国民が悲惨な状況から抜け出したのは事実だからである。第一次世界大戦時の戦勝国がドイツを経済的に叩き潰したことを考えるとこの現実は当然歓迎してよい歴史である。問題は共和国憲法下の委任独裁権が主権的独裁権と変化し、彼に無制限の権力を与えたことによる。ここが重要な問題であって、ただナチスやヒットラーだけの責任に帰した形で問題を解決しようとする「逃げ」の姿勢は歴史と死者への冒涜である )の思想行動だけに責任を帰すことが出来るのであろうか。ユダヤ人はただナチスだけに迫害されたのではない。歴史上、ユダヤ人はずっと迫害されてきた。この歴史問題を解決しない限り、アンネの日記はただの「個人日記」になってしまう。迫害を受けてきた罪のない人々の魂を救うためにも、今回はユダヤ人の迫害の歴史を追いかけながら、常識論派や感情論派( 陰謀主義 )などの考えを出来るだけ排し、中立な態度でユダヤ人が何故迫害を受けなければならなかったのかを問い詰めたい。

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2008.12.11 (Thu)

青の性、そして法と法律と道徳と。

「青の性裁判」という事件があります。憲法論争にまで発展した刑事事件です。昭和60年10月23日に最高裁大法廷が青少年保護条例の処罰規定にはじめて合憲の判断を下したものでした。この事件そのものは何であったかというと、福岡県に住んでいた30歳の男性が知り合いの16歳の女子高生と性的関係をもち、当初、小倉簡易裁判所が罰金5万円の有罪判決を下しましたが(二審の福岡高等裁判所)、この男性は判決を不服とし、控訴し続け、最高裁まで至ったということです。

男性は(1)本来自由である性行為を青少年保護という面から制約する場合は必要最小限度でなければならないのに処罰規定は極めてあいまいで罪刑法定主義を定めた憲法二十一条に違反する、(2)各都道府県の処罰規定・罰則はばらばらであり法の下の平等の同十四条に違反する、(3)刑法や児童福祉法などで不処罰の行為まで規制するのは法律の範囲内での条例制定を求めた同九十四条に違反する、という主張を繰り広げました。
僕は法律の専門家ではありませんが、法律の論理展開ならば筋が通っている主張なのかもしれません。

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21:25  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.09 (Tue)

堀江貴文氏の歴史的意味

きのうは『経営と資本』というテーマを取り扱いました。きょうは内部統治としての『労働と資本』というテーマをあつかってみたいと思います。ここで取り上げる事例は『近衛内閣の新体制運動』です。

この体制が構築された影響は現在でも続いているとぼくは思っています。日本の企業文化というものはこの呪縛から解き放たれていないと思っているからです。その社会的意味から考えると、(色々と賛否両論あるでしょうし、ぼくは1度もお会いしたことはありませんので人物評価は避けますが)ライブドアの堀江貴文元社長というのは、この日本の歴史を覆そうとした時代の旗手だったのではないかな、と思うんです。もちろん、現在係争されている犯罪事実が真実であれば、これを支持することはできませんが、社会的意義としては別の論をたててみようと思うのです(個人的には天皇制批判を選挙中にやった堀江さんが保守政党である自民党の公然とした支持を取り付けて運動していたことには、両者に対してかなりぼくは不信感・不快感をもっているのですが、あえて政治的な話は今回、横に置きます)。なぜ、堀江さんが歴史的変革者であったと考えるのか、それは文章の末尾までお読みいただけるとご理解いただけると思います。

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16:09  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.09 (Tue)

ヴェネツィア共和国から考える“経営と資本”の関係性

金融混乱が世界中に広がる中で、直接金融というシステムそのものが否定されているように思えます。しかし、果たして安直に金融システムそのものを否定してよいのか、結論を出すにはまだ早すぎるのでないでしょうか。多くの観点から議論を深めていかなければならないテーマでしょう。今日は『経営と資本』の関係性というものを考え直してみたいと思います。

『経営と資本』というテーマの中でまず取り上げるべきは、『担保』というキーワードです。この意味では世界史上、その金融に支えられた経済活動と徹底した現実主義で混乱のヨーロッパをナポレオンが登場するまでひとり生きつづけたヴェネツィアを扱うとよく理解できると思います。かつて『エコノミックス・アニマル』と評された日本ですが、経済の獅子という意味ではヴェネツィア共和国のほうが数段上手をいっていたのではないでしょうか。『ヴェネツィア株式会社』と名づけた方がよい国家であると思います。この経済で世界を牛耳った国家は、意外にもその民間企業の経営と資本に関して、合理的で近代的な、中々現代にも通じるようなシステムを作り上げています。


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01:29  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

国防とは共同幻想である。

公共財とはなにか、と問うときによくあげられる例は、道路、橋、公園、治安なとである。これらの財の特徴は無差別に複数の人間が同時に消費することもできる、という点にある。私的財とくらべると、これは財を消費すると、その財を他の人間が消費できなくなるので消費の「競合性」が存在するが、公共財はそのような競合性が存在しない消費の「非競合性」を特徴としている。また、公共財を消費する人間の選別は無差別であるから、消費の「排除不可能性」も大きな特徴としている。
このような財は価格をもって市場を通じて需給が決まるわけではなく、主に政府などの公的な組織により無差別な国民に供給されるわけであるから、どれだけ供給され、誰がどのような形でどれほどコストを負担すべきなのか、という議論は絶えることがない。

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22:52  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

ベンチャー文化を興すためには。

「ベンチャー」という言葉を使うべきか、それとも「起業」という言葉を使うべきか、実際のビジネスにおいてその定義は大いに迷うことになるが、少なくとも社会経済構造がネクストステージにテイクオフするために必要なベース装置であることは共有している概念ではないだろうか。アメリカにおいては Fairchild Semiconductorが後のシリコンバレーを形作る基礎になったように、また日本においては坂本竜馬が作った亀山社中が後に大財閥・三菱へと成長したように、現在の社会経済構造はすべて「創業」からはじまる、と断言しても構わない。だが、ITバブル崩壊も含め、一部の起業成功者たちによる経済犯罪の多発や経済倫理への挑戦行動が、国民に起業を“虚像の創出”と認識させ、一時の熱狂を冷ましている傾向が存在することもまた事実だ。しかし、ベンチャーないし起業が社会のなかで揮わなければ、経済構造も効率化を果たせず、また新たな価値も創出できないものと私は確信している。なぜなら、一度混迷した90年代以前のアメリカ経済を再生させたのは他ならぬこの「ベンチャー」という社会的装置であったからだ。それは70年代初頭のキャピタルゲイン課税強化を受け「ベンチャー冬の時代」を経験した「失敗した起業家」たちが数多く存在し、社会全体が危機管理能力を高めていたからでもあるが、アメリカの産業史そのものといってよい半導体・コンピュータの発展とともに歩んできたミドルリスク・ハイリターンを実現するベンチャー文化(ニューエコノミー・パラダイムに煽り立てられた「根拠なき熱狂」ではなく)・支援制度の底力が一気に発揮された、と指摘できるからだ。スピードある新技術やサービスの開発や提供によって、需要を喚起しつつ供給構造の改革を一体的に行うことによって「イノベーションと需要の好循環」を果たす経済を構築していくためには、ベンチャー政策が必要になるわけだが、日本においてはその振興にどのような政策が展開されているのか先ずは概観してみたい。
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22:49  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

なぜ政治に興味がないのか。

「合理的無知」とは、日常生活に必要な食料品の値段や仕事に使うパソコンの価格を調べたり、自分の興味のあることや日常生活に有益な情報を得るために費やす機会費用を、自分にとっては重要でない問題や興味のない問題に対して評価したり分析したりするためにとても回す気にはなれないという「合理的な選択の結果としての無知」な行動・態度を選択することである。

社会を構成する人々が合理的経済人として行動するのであれば、その多くの人がこの合理的無知を選択することは、当然の帰結点となる。しかし仮に、自分にとって重要な経済行動を選択せずに、重要でない事象を調査・評価するためにその機会費用を費やせば、その期待便益は限りなく小さなものになるだろう。例えば、自分の生活に関係ない政策が問われる選挙が行われていたとすれば、おそらくその人物は投票日当日の投票行動を当日生活行動選択肢の優先順位の中で下位におくだろう。

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22:47  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

なぜNPOは期待されるのか。

サラモンによれば、NPOの定義は1)制度的形式性、2)非政府性、3)独立性、4)非営利性、5)ボランタリー性の5条件を満たす必要性があるという。

この条件を前提にしながら、営利企業と政府、NPOの三者の違いを考えてみたい。

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22:44  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

桜の話。

以前、書いた日記なのですが、ブログの記事をmixiから移行しているなかで、季節外れの記事ではありますが、どうしてもみなさんに聞いていただきたく、また皆さんがもっと桜を愛でるきっかけなればと思い、再度掲載することにしました。
福岡で生まれ育ったボクにはとっても大事な大事な、「花守り」の物語です。




市長殿
   花あわれ
   せめてはあと二旬
   ついの開花を
   ゆるし給え


あるひとりのサラリーマンが、通勤の途中で一本の桜の樹が道路拡張工事のために伐採されているのを発見した。あと少しで花開く季節だった。

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22:36  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

官僚制は崩壊するのか。

現代社会では官僚組織の役割というものは小さくなっていくことは間違いありませんが、しかしながら、民主主義下の国家においてその必要性はなくならない、と思います。
そのうえで現代日本の官僚制改革に必要なことは、その機能・役割を再編成し、効果的な制度の再構築を実行することなのだと思います。

現代の相次ぐ改革の中で官僚制というものは、新たな市民パワーの勃興の前にその重要性を次第に減少することを要求されていますが、どのような形にしろ国家という枠組みと民主主義という制度設計の下においてこのシステムは存続していくでしょう。
それは、市場優先を前提とする開発理論でさえ、その行動選択の前提において国家の社会保障としての機能を必要とするからです。新興の民主主義国家に市場原理主義を導入しようとしている民主主義が確立されている国家ほどこの体制が構築されている事実を目の当たりに出来ます。
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22:30  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

地方自治体改革の意味

戦後の国土形成はあらゆる面において東京一極集中の状態を生んだ。その弊害の解決がいま地方政府の権限改革という「分権」と国家財政政策の再編成という「分財」によって提議されている。これらの改革は肥大化し、硬直化した国家組織を変質させることは疑いない。昨今の宮崎や夕張などへの注目はこれらの政治事象をどう変流させていくのであろうか。

都市という存在がそこに集う人間のあらゆる活動の集積結果から生じた構築物であるならば、情報・文化・経済・政治など、その抱える機能は無限に肥大化していく。そのような集積過程が都市拡大のルールならば、東京は先の大戦以後世界で最もそのルールを受け入れ、あらゆる都市機能が世界最高度に複合化された都市のひとつだといえる。

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22:29  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

朗らかに、清く正しく美しく

阪急の創業者であり、宝塚歌劇団の生みの親である『小林一三』を今日はボクの尊敬する人物として紹介したいと思います。

女性だけの出演者による歌劇・舞踊団で、これだけの歴史を持っている人気芸術集団というのは、世界でも珍しい存在だといえます。今では、その付設の宝塚音楽学校(前進は1919年に創られた宝塚音楽歌劇学校)は「東の東大、西のタカラヅカ」と呼ばれるほどの難関校となりました。


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21:56  |  【 徒然と 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

わが国の高等教育政策を考える 【連載01】

大学経営における「2009年問題」、つまり日本全体の大学への入学定員数よりも入学志望者数のほうが少なく、現実として決して過渡年生が存在しなくなるわけではないが、理論的には誰もが大学に志望すれば入学できる『大学全入時代』の到来は、日本全国の国立・公立・私立大学を問わず、大学経営の性質を変容させはじめた。

少子高齢化の深化に伴う学生数の減少、バブル経済の崩壊による大学資産価値の再算定、90年代以降の大学経営に関する法的緩和など、各種社会現象が相まって大学全入時代を迎えることになったのである。とくに2001年4月に誕生した「規制改革」を政治改革の旗印にした小泉純一郎内閣のもとで、それまで学校法人審議会により厳しく審査されていた大学・学部新設事項事務が準則主義へと規制緩和され、全国的に大学新設ラッシュが発生した。2006年には国公私すべての大学数は744校にのぼったが、10年前と比較すれば168校も多く新設されていることになる。

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20:56  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

思想家としての宮崎駿。

悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0811/27/news004.html


先月末、うえの記事を見つけた。
宮崎駿氏が社団法人日本外国特派員協会(英FCCJ:The Foreign Correspondents' Club of Japan )でスピーチしたものをもとめられたレポートだ。

宮崎駿氏はアニメ監督以上に、現代の思想家としても巨大な人物としてとらえられている。
しかし、どうしても納得がいかない。
彼のメッセージを聞いても、読んでも、ぼくの心にはひびかないのだ。

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20:16  |  【 徒然と 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

皇室制度をどう議論するべきか。

皇室ism
http://koshitsu.jugem.jp/


すでにご存知の方もおられるかもしれませんが、このサイトを最近毎日のように読ませて頂いているのですが、情報量としてはかなりの優良サイトだと思います。

みなさまも、ぜひ機会があればご覧ください。


さてさて、最近下火になってきた「皇位継承に関する皇室典範改正問題」ですが、本当はいま、もっと深く議論して政治が皇室を磐石にお支えしなければならないと思うのです。

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16:59  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.12.07 (Sun)

神道の復興とその本質

ひさしぶりにまじめなことを書きます(笑)。
今回は神道についてです。
(ちなみに所属宗派や教団という意味では、ボクは無宗教です。)


神道というのは、そもそも儀式のみによって成立していた生活習慣だといえます。神道が“言葉”によって復興したのは、鎌倉の頃だと言われています。面白いのは、鎌倉時代というのは、政治的に日本の革命期だったわけですが、宗教面においても鎌倉禅仏教が登場してくるころなのです。では、なぜ鎌倉禅仏教がうまれ、神道が復興しはじめたのか。

鎌倉時代から仏教の世界では『末法の世』に突入したといわれます。

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