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2008.03.08 (Sat)

李登輝学校・発表録 7/13

そこでこのような状況をみて、担当省庁である文部科学省は「大学教育改革構想」というものを打ち出しました。

基本的には1)大学の再編・統合、2)国立大学の法人化、3)競争的環境の導入が柱となります。

具体的には1)国際競争力のある世界最高水準の教育研究拠点の形成プログラム、2)社会の要請に応える専門職業人要請の推進プログラム、3)現代的課題に対応できる人材養成と大学の多様な機能の展開プログラム、4)課程に応じた教育内容・方法等の高度化・豊富化の充実プログラム、の政策展開です。

そして、各大学に改革を促進させるために、各大学に自助努力を課しました。具体的にいえば、まずは国立大学の話に限定しますが、2004年にはすべての国立大学が法人化され、教職員は公務員でなくなったのです。

その翌年から運営交付金を毎年1%ずつカットとていったのです。この政策はとても大きな意味があり、当時現場の大学経営者たちには衝撃的なことだったと思います。これに関してはあとで説明させていただきたいと思います。


さて、文部科学省が推進したプログラムの中で重要なのは、先ほどの4番目の具体的政策であり、『特色ある大学教育支援プログラム』というものだと思います。

この「特色ある大学教育支援プログラム」というのは、大学教育の改善に資する種種の取り組みのうち、特色ある優れたものを選定し、選定された事例を情報提供するとともに、財政支援を行うことにより、国公私立大学を通じ、教育改善の取組について、各大学および教員のインセンティブになるとともに、他大学の取組の参考になり、高等教育の活性化が促進されることを目的とした政策なのですが、これは決して助成金バラマキ型のような学校側にとってやさしいシステムではありせん。

申請数から見て採択率は10%程度ですし、いわゆる有名大学のみが独占するものではありません。このプログラムに関して、どのような大学が認められているのか、具体例を示したいと思います。

北海道大学の活動をピックアップしたいのですが、より詳しい情報は文部科学省や北海道大学のHPに記載されていますので、そちらをご覧くださればと思います。

北海道大学が「特色ある」と認められた主要な原因は、教養教育の再建という改革のためだったと思います。

北海道大学は「リベラルアーツの礎のうえに、真のゆとり教育をめざす」という教育テーマを持っているのですが、これをより徹底するために「コアカリキュラム」による全学教育を開始します。各学部には、旧教養学部の教員団を継承した責任部局が置かれました。この各部局は各科目の企画責任者・担当責任者がおかれ、開講計画の調整にあたります。このように部局をおいて責任を明確にしたうえで、全学支援体制で教養教育を推進しようとしているところが北海道大学の特徴といえます。

戦後、教養教育が崩壊した大学教育の中では重要な取り組みであることは間違いないでしょう。

しかし、反対がなかったわけではありません。大学研究者のなかには「自分の研究の邪魔になる」といって、生徒に対して教養教育の時間を割くことに反対もあったようです。

そのほかにも、TA研修を就職トレーニングのひとつとして制度設計したり、全学教育科目の成績評価基準のガイドラインの運用徹底などもしています。

これらの全学教育改革が非常にうまくいったのは、大学全体のマネジメント体制がうまくいったことが大きいでしょう。

肥大化・硬直化しやすい大学組織にあって総長の指示がよく通ったということはやはり驚きに値します。




→続く。


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11:30  |  【 想う修学院のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(1)

2008.03.07 (Fri)

李登輝学校・発表録 6/13

院生の皆さんであれば、すでに大学における『2007年問題』もしくは『2009年問題』というものをご存知だと思います。

大学全入時代の到来、というものです。

簡単にいえば、志望校と受験校を選り好みしなければ、数字上の上では現役の受験生は全員大学に入学できるという状況のことです。これが2007年問題、少し延びて2009年問題といわれているものです。

では、なぜ大学全入時代が到来したかというと、要点をあげれば三つの原因をあげることができます。1)つめには超少子高齢化に伴う学生数の減少、2)つめにはバブル経済の崩壊による大学資産の再算定、3)つめには90年代からの大学経営に関する法的緩和の影響です。

その中でも重要なのは、3つめの大学設置に関する規制緩和でしょう。その最たるものが、小泉内閣下での教育改革でした。2001年4月以降、大学・学部新設事項が規制緩和され、全国的に大学新設ラッシュが巻き起こりました。当初は日本の大学を競争力高いものにするためにより競争主義のもとにさらそうという意図があったのでしょう。

賛否はあれ、その考えはその考えでひとつの資本主義下の考え方であると思いますが、少子高齢化に突入している状況が政策を負の効果に落としてしまいました。

よく考えてみると当然なのですが、少子高齢化に進んでいるのに大学数を増やすというのは矛盾しているわけです。1

990年には全国でも500校しかなかった大学が、今年の4月には760校を超えるという事実があります。約20年間で5割り増しもしてしまった。

生徒は減っているのに、大学は増えるとなると、当然見えてくるのは各大学の収入の低下です。そして、その先はなにか。倒産です。

設立運営に関する財務事項が厳しかった明治期ならいざ知らず、大学が倒産してしまう、という状況にいまわが国は突入してしまっています。

その証拠に、2005年には私立大学ではじめて東北文化学園大学が、学生数の定員割れを主原因とする全国初の理由で萩国際大学(現・山口福祉文化大学)が民事再生法を適用しました。

この状況はますますひどくなっており、2007年度日本私立学校振興・共済事業団調査によれば、私立短期大学の定員割れ率がとうとう6割を超えてしまいました。これは短期大学だけではなく、4年制大学においても同じように増加傾向にあります。

日本の大学の3分の2は私立大学ですから、これは危機的状況だといえます。

赤字大学というのはごまんとして存在しているわけです。

2005年には文部科学省が「経営困難校」にあるのは22法人だとはじめて公表しました。

これは文部科学省の危機感のあらわれだったように思えます。文部科学省が決して公にしてこなかった「経営困難」という文字を公表しなければならなくなった現実がすでに存在していたのです。これも現在では100校近い。状況はますますひどくなるばかりです。

しかし決して学校の名前は公表されません。これはおかしなことだと私個人は思っているのですが、きっとこれが公開されれば「教育パニック」というものが全国に拡大してしまうだろう、と思います。




→続く。


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03:29  |  【 想う修学院のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2008.03.04 (Tue)

李登輝学校・発表録 5/13

そして、『第三期』が橋本行政改革期を中心とした現在の政府再編期だと思うのです。

昭和62年には大学経営の実態を強化するために大学審議会や大学設置・学校法人審議会が発足しました。

平成3年には大学設置基準が改正され、平成5年には大学設置基準の再大綱化、平成7年には推薦入試基準が通達され、平成9年には「大学の教員等の任期に関する法律」の施行、平成10年には専門学校からの大学編入を制度化、平成11年には一気に大学制度の改革が進むことになります。

主要なものをあげても、1)新増設の一部について三ヶ月審査を導入、2)推薦入試基準の改正通達、3)自己点検・評価の義務化、4)大学早期卒業生の導入、5)専門大学院の制度化、6)大学院修士課程修業年限の弾力化、7)大学院入学資格の緩和がなされました。

また、平成12年には大学評価・学位授与機構の設置というとても大きな流れがあり、平成13年には文部省が文部科学省に組織改変されることになったのです。

もちろん、その後も、そして現在も日々一刻とわが国の教育制度はめまぐるしく変化を遂げています。この変化が果たして意味あるものなのかどうかはこれから皆さんとともに考えていきたいと思います。

長くなりましたが、本論に入りたいと思います。




→続く。


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2008.03.03 (Mon)

李登輝学校・発表録 4/13

教育行政の意味で重要なのは、昭和24年の「文部省設置法」および「私立学校法」の制定です。

当時、GHQは旧文部省を解体し、再編成するつもりでしたが、現場の文部官僚たちの抵抗にあい、これをあきらめます。文部省だけではありませんが、ふつう敗戦を迎えた国の官僚制度というのはどのように手をつけられても文句は言えないと思うのですが、この当時の官僚や政治家の皆さんは立派だったというか、GHQに従う形をとりながらも、かなり日本が明治以降築き上げてきた制度の根幹は崩すまいと必死に抵抗しているのがよく分かります。「昔の人は立派だった」といいますが、この時期の官僚制度の存続をみていると、本当にそのような想いを再認識させられます。

話を元に戻しますが、この私立学校法により、私立大学の設置形態が「財団法人」から「学校法人」に変わり、「監督庁」を「所轄庁」に改め、供託金も不要になり、文部大臣の権限は設置・廃止に関する認可権と閉鎖命令権とに限定されて、大学の人事・授業料等財政および授業その他運営上の変更命令権の不適用等、大学の自治権が確立されたことは注目に値しましょう。

というのも、明治憲法下のもとで自治権獲得・財政的自由を求め発展してきた私立学校・大学と国家の関係性というのが、これ以降新憲法との関係の中で矛盾をはらみながら、進んでいくことになるからです。

つまり、『憲法89条問題』というものです。

新憲法89条は「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と定めています。

しかし、私学振興という名のもとに日本政府は憲法違反の教育行政を展開していくのです。

憲法改正という問題定義の時に、9条問題ばかり指摘されますが、私個人としてはこの89条の問題もぜひ取り上げてほしいと思っています。

このような憲法の規定があるにもかかわらず、昭和27年には私立学校振興会法・私立学校教職員共済組合法が制定され、昭和32年には私立大学等研究設備整備費等助成補助金が確立、昭和45年には政府予算に「私立大学等経常補助金」が計上され、「日本私学振興財団法」が施行されます。

昭和50年には「私立学校振興助成法」が制定公布され、昭和58年には私立大学・大学院等教育研究装置施設整備費補助が実施、昭和59年には文部省に「私学部」が発足するのです。

『教育における公私問題』を議論せず、憲法違反を堂々と無視し続けてきた政策の展開というのが、戦後のわが国の教育行政の姿であったと思います。

もちろん、敗戦によりいち早く立て直さなければならなった教育制度を考えてみればこの盲目的な政策展開も納得できますが、現在わが国に巻き起こっている「教育崩壊」という課題の原因のすべてはこの「公私論争」の不在にすべてがあったように思えてなりません。




→続く。


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2008.03.02 (Sun)

李登輝学校・発表録 3/13

『第二期』は当然、GHQによる占領政策からはじまった戦後民視主義時代、つまり現代までの流れです。

昭和20年、敗戦を迎えるやいなや、学徒動員の解除、復員学徒の復学等の平時復帰措置、高等学校(旧制)教練科の廃止、東京帝国大学の航空研究所・航空関係講座、七帝国大学の神道・日本精神史講座の廃止等の禁止措置が次々に進行していきます。大きな変化は「女子教育刷新要綱」が閣議決定され、女子大学が創設されたことでしょう。

大学における男女共学制の採用は、この占領期からはじまることになるからです。

話が少しずれますが、この戦後まもない時期にどれほどの学校が被害を受けたかを数字で示したいと思います。日本の教育制度の中心をなす私立学校の話に限定したいと思いますが、私立学校の戦災は全国を通じて大学・高等専門学校は82校、中学校・盲聾唖学校は292校に達し、建物の被害は、前者が35440坪、後者が208670坪、の合計334110坪にのぼりました。当時の私学の占める学生・生徒の比重は大学・高専で52%、中学校26%にのぼっていますから、この数字は大変重要な数字だということを院生の皆様にはご理解いただけると思います。

話を元に戻し、時代を進ませたいと思います。昭和21年には、私学振興協議会が開催され、教育使節団や米軍CIE(民間情報教育部)などの勧告もあり「教育刷新委員会」が設立されました。GHQに「アメリカ教育使節団報告書」が提出されるのもこの頃です。

日本政府の政策ではありませんが、戦後の大学教育の動きに関して重要なのが、「全国私学時局対策大会」の開催です。この大会において、「私学振興建議」というものが採択されるのですが、この採択内容はそのまま第91回国会において「私学振興決議案」という形で決議されることになります。その内容は1)公私立学校生徒学費負担額の不均衡是正、2)戦災私学復興費の助成、3)戦災私学の有する特殊預金の無条件解除、4)戦災私学復興に関する物的助成、5)私立中等学校教職員待遇改善費の補助というものでした。昭和22年には「教育基本法」および「学校教育法」が制定されます。戦前に制定されたすべての学校令が「学校教育法」に収められることとなったのです。

同時に大学制度も新制度に変わるのですが、この新制大学の特色は1)旧制高等教育機関の「大学」への一元化と大衆化の指向、2)女性の大学教育の実現、3)大学教育の実学面増大、4)「一般教育」の導入、5)「単位制」の導入、6)大学院制度の明確化と課程制大学院への移行並びに「修士」の新設、というものでした。昭和23年には「大学基準」が作成・公表され、当時の政府の意図していないことではあったのですが、1校の公立大学が、12校の私立大学が新設申請をしました。




→続く。


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