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2008.02.29 (Fri)

李登輝学校・発表録 2/13

明治19年には本格的に大学制度を整備していきます。
「帝国大学令」を含む「学校令」を完成させたことが、この年の大きな動きでした。

この学校令は第二次世界大戦による敗戦を迎えるまで、わが国の基本的な教育政策として確立されることとなります。学校令により、小学校・中学校・師範学校・帝国大学の学校種別がもうけられ、学校制度の準則が整備され学校体系が完成しました。

ですが、同時に私人が設置することのできる教育機関は小学校・尋常中学校と各種学校だけになり、前述の専門学校と称していた各私立学校は制度的な根拠を失ってしまいました。

この公立教育の優位性は同年8月に、森有礼によって制定された「東京府下私立法律学校特別監督条規」でもみてとることができます。これは東京専門学校などの法律学校が帝国大学総長の監督下におかれる、というものであり、私立学校は完全に官僚統制の支配下に組み込まれたことを意味していました。

しかし、私立学校側からの猛反対もあり、明治21年には「特別認可学校規則」の発布とともに「東京府下私立法律学校特別監督条規」は廃止されます。その後のわが国の教育制度の改革は私立学校をどう捉えるか、という一時に尽くされます。明治31年には民法が施行され、公益法人・非営利組織の一種として設立されていた各種私立学校の経営主体が個人や社団法人として認められます。

明治32年には、勅令第359号「私立学校令および私立学校令施行規則」を制定。

明治36年には、勅令第61号「専門学校令」が制定され、「実業学校令」が改正されます。この制度によって、慶応義塾や早稲田、同志社などが「大学」という呼称を正式に手に入れました。法律や政治経済系の学問を教える専門学校に予科を設けることにより、「大学」という呼称をつけることを認めたからです。

明治44年には私立学校令が改正され、既存の私立学校の経営主体が財団法人にすべて変更されます。大正7年にはこれまでの制度改革が再確認され、整備されます。

勅令第389号「大学令」と、それに関連する「大学規定」の制定です。この大学令において、私立大学は1)はじめて法的地位が確立し、2)経営主体が財団法人に規定され、3)財政的基礎の確立と供託制度が義務づけられ、4)文部大臣の監督下におかれる、と規定されました。

財務に関しては私立学校側から「大学令実施に関する請願書」などがだされ、中央政府もこの陳情を聞き入れ、「私立大学基金内規」や「私立大学基本財産供託規定」、「私学補助予算」などの制度を整備し、私立大学の財政的圧迫を軽減していったのです。

この制度整備があってはじめて、大正9年に慶応義塾大学・早稲田大学・明治大学・法政大学・中央大学・日本大学・國學院大学・同志社大学が大学としての認可を得ることになります。

大正10年には東京慈恵会医科大学、大正11年には龍谷大学・大谷大学・専修大学・立教大学・立命館大学・関西大学、大正13年には立正大学、大正14年には東京農業大学、大正15年には日本医科大学、高野山大学、大正大学が文部大臣により設立認可され、その後も順次数多くの私立学校が「大学」へと昇格していきました。しかし、これらの大学制度も線時期に入ると、その運用も変化せざるをえなくなりました。

昭和16年には、国家総動員体制の名目のもと、在学年限や修業年限が短縮されましたし、昭和18年には閣議決定において「教育に関する戦時非常措置方策」が決定されました。これは理工科系統および教員養諸学校を除き、一般学生の徴兵猶予執行を停止する、という決定でした。

昭和19年には「緊急学徒勤労動員方策要綱」による学徒の通年動員が実施され、昭和20年には「決戦教育措置要綱」および「戦時教育令」により、学校の授業が停止します。ここまでが近代教育制度の整備という意味では『第一期』にあたると思います。



→続く。


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2008.02.28 (Thu)

李登輝学校・発表録 1/13

といっても、李登輝校長や久保田信之院長の講演録ではなく、先日ボクが『第三教育改革期に向けた大学経営改革の方向性』というものを日本李登輝学校修学院の皆さんの前でしゃべらせていただきましたので、その発表録です。

自分がしゃべったことをまとめて頂いたのですが、やぁ、講演というのはやはり大変ですね。
文字にしてもらったものを読み返してみると、なにしゃべってるのかよく分からない(笑)。

これも勉強だと思い、ブログにさらすことにいたしました。
なにとぞご寛恕いただければ幸いです(笑)。




早稲田大学院の梅本と申します。
きょうは私に「文化経営」というテーマを与えられましたので、明治維新以降、日本の近代教育制度を整備した“大学”制度が現在迎えている諸問題を今回はみつめていきたいと思います。みなさんのお子さんやお孫さんなどの中にはこれから大学に入学される方もおられるでしょうし、在籍中や卒業された方もおられるかもしれません。しかし、あまり現在の大学のことはよくご存じないというのが、本当のところではないでしょうか。大学という組織もずいぶん皆さんが在籍しておられた時期の姿とはイメージをだいぶ変えていると思います。では、なぜ変化をとげていっているのか、そういう部分を中心に話を展開したいと思います。

まずは、大学制度の成立プロセスを簡単に見直してみましょう。ただし、昨今の教育システムの改革スピードは大変速いので、とりあえず文部科学省の成立までを考えてみます。

明治維新を向かえ、新政府は徳川幕府にかわる新しい中央集権システムを全国的に構築していきます。教育行政に関してもそれまで徳川幕府や各大名家などによって個別運営されてきた教育行政を新政府直轄のもとで行えるようにします。

それが明治4年の文部省設置という政策です。
ここからが明治以降の教育行政のスタートであった、ととりあえずは認識してください。

翌年には、文部省布達13号をもって「学制」というものを成立させます。学校制度をとりあえずは規定したものですが、この学制の布達以前は、徳川時代から続いていた寺小屋などの民間の教育機関が自由にその活動を展開していました。新政府はこのような民間教育機関を同年には文部省による許可制のもとで開校できるものとしましたが、このような私塾といわれる民間教育機関も「就学対象」として存続させ、自由に教育システムを国民が選択できる余地を残していました。この政策は、維新後の文明開化・欧化主義の流れとあいまって、各地に私立洋学塾なども多く誕生させました。

官立学校と比べて決して財政的に余裕のあるものではありませんでしたが、福沢諭吉の慶応義塾をはじめとして、村上英俊の達理堂、近藤真琴の攻玉社、尺振八の共立社、箕作秋坪の三汐塾、箕作麟祥の共学舎、司馬凌海の春門社、中村正直の同人社、山東直砥の北門社、福地源一郎の日報社、森田正煕の英学所、鳴戸次郎吉の鳴戸社、津田仙の農学校、新島譲の同志社などがそれらの代表的なものでした。

明治12年にはこの「学制」を廃止して、制度整備を一歩すすませた太政官布告第40号「教育令」を布告します。「自由教育令」といわれたこの制度は、私立学校開設にも影響をあたえ、前述の慶応義塾や同志社のほか、法律や政治経済の専門学校では、東京法学社(法政大学)・専修学校(専修大学)・明治法律学校(明治大学)・東京専門学校(早稲田大学)・英吉利法律学校(中央大学)・関西専門学校(関西大学)・日本法律学校(日本大学)、語学では暁星学校・独逸協会学校・、医学では正則英語学校済生学舎(日本医科大学)、宗教や哲学では天台宗大学・大教校(龍谷大学)・曹洞宗大学林(駒沢大学)・真宗大学寮(大谷大学)・明治学院(明治学院大学)・フェリス学院(フェリス女子大学)・神戸女学院(神戸女学院大学)・立教学院(立教大学)・青山学院(青山学院大学)東奥義塾・藤雲館・哲学館(東洋大学)・皇典講究所(国学院大学)などを設立させることになりました。



→続く。


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2008.02.27 (Wed)

新政権誕生と日韓関係の行方

日本李登輝学校修学院とアジア太平洋交流学会の今月の講座のご案内です。


【日本李登輝学校】
3月15日(土) 13:30~
演題:「最近の若者はなぜ個人主義なのか---共同生活と社会生活」
講師:久保田信之(李登輝学校院長 学習院女子大学元教授 他多数)
講師:鈴木一臣(若者自然塾)
場所:豊島区生活産業プラザ(場所の詳細はリンクをはっています)
費用:院生1000円 非院生→その場で入院手続きもできます。

※台湾元総統李登輝氏より正式に「日本李登輝学校」として公認されており、李登輝氏が校長をつとめられている「台湾李登輝学校」と姉妹校の関係を築いているのは、日本国内においては修学院だけです。


【アジア太平洋交流学会】
3月22日(土) 13時:30~
演題:「新政権誕生と日韓関係の行方」
講師:鄭大均(首都大学東京 都市教養学部 教授)
場所:豊島区生活産業プラザ(場所の詳細はリンクをはっています)
費用:会員1000円 非会員→その場で入会手続きもできます。


保守政権が復活しながらも実利主義の新大統領のもとで、日本と韓国の関係はどのように展開されていくのか、在日コリアンに関する評論で有名な鄭大均教授を講師に迎えて、参加者皆さんで討論していきたいと思います。



【現在の韓国政治の状況:ニュース引用】

李明博大統領「政府の政策、庶民経済に焦点を」

【ソウル27日聯合】
 李明博(イ・ミョンバク)大統領は27日、就任後初の青瓦台(大統領府)首席秘書官会議を主宰し、「新政権は何より、経済再生という多くの国民の期待に沿い仕事しなければならないと思う」と強調した。世界経済をとりまく環境は非常に厳しく、特に物価が世界的に上昇していると指摘した後、青瓦台は政策の焦点を庶民に合わせるべきで、経済再生の中で最急務の物価安定も庶民のためになるとした。新政権発足初期に各官庁が話し合い、経済関連と非経済関連に関係なく政府の全官庁が経済再生に焦点を合わせることを繰り返し求めた。
 一方、前日に首相に対する国会の承認採決が見送られたことについては、「新政権の内閣が構成できないでいる」と、残念がる気持ちを示した。組閣後は各官庁の業務報告を青瓦台で受けず、現場で報告を受ける方策を検討するよう指示した。

 会議には柳佑益(リュ・ウイク)大統領室長をはじめ、郭承俊(クァク・スンジュン)国政企画首席秘書官、金仲秀(キム・ジュンス)経済首席秘書官、李鍾燦(イ・ジョンチャン)民情首席秘書官、金炳局(キム・ビョングク)外交安保首席秘書官らが出席した。




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2008.02.27 (Wed)

辞任させることになんの意味があるのか、と思っていたが・・・

今回のイージス艦「あたご」の漁船衝突事件は、不祥事がつづいてやまない防衛省においてどんなにそれが続こうとも、イラク派遣やインド洋派遣などでただじっと汗を流している現場の自衛官たちは、きっと国民の期待を裏切りはしないという希望(といっても、真にいまの国民が命を投げ出している彼ら自衛官に対して尊敬の念を抱いているかは、疑いの余地が残るが)をものの見事に打ち砕いてしまった。

当初、野党が求めた防衛大臣の辞任要求にはあきれてものがいえなかった。
どのようなことでも、政府機関に不祥事が起きればすぐ総理を批判し、監理する担当大臣の辞任を要求する。
求めるべきは現場責任担当者に対する厳正な処置であり、今後のより公正な改革を担当大臣に求めることであろう。
担当大臣を罷免させて、不祥事そのものの本質が解決されるのだろうか?
そういう本質の議論をまったくしない野党、とくに第一党である民主党の政治姿勢には自民党にかわって政権を担う能力が本当にあるのか疑問に思ったのものだ。

だが、毎日新聞が報じた防衛大臣が海上保安庁による自衛官に対しての聴取の前に直接事情聴取していたことをまったく国民に報せなかったことは、これが事実であれば、国民への裏切りであろうし、辞任に値する愚行だったと思う。

決して野党のような「政権ほしさ」だけの批判ではないが、やはり防衛大臣の姿勢には疑問を感じる。
海上保安庁をあずかる国土交通省と海上自衛隊をあずかる防衛省との警察権と国防権という省益抗争の色合いもみせはじめ、いったい何が国民のための議論をされているのか不思議でならない。

国防をあずかる機関に属する者は、どんな思想的批判を受けても、ただただ誠実にまっすぐその命を国家に国民にあずけるべきだろう。
軍隊というのは、本質的には暴力機関だ。
だが、その暴力は決して自国民に対して向けてはならない。
国民を裏切る政府のための軍隊であってはならないし、自分たちの軍益を守る軍隊であってもならない。

軍隊は決して、国民を裏切ってはならない。
日本においてはただただ君主である皇室と主権者である国民に忠誠を誓えばよいのだ。

国民を裏切る行為を国防大臣がしたのであれば、即刻辞任するべきだ。
それが政治家としての身の処し方であろう。




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また辞任要求ですか?
2月26日13時36分配信 ツカサネット新聞


最近は政治家、特に大臣に不適切な個人的事実があったり、不穏当な発言があったり、あるいは監督省庁に不祥事があるとマスコミは喜んでそれを取り上げ、野党はすぐに辞任要求を突きつける。それを聞いて当然と思う人もおられるだろが、中には私のように疑問に思われる方も少なくないのではないだろうか。

不適切な事実や不穏当な発言、あるいは不祥事そのものは許されて然るべきものではないが、それと本人の政治的能力、およびそれによってもたらされる国益とは本質的に異なるのと思うからだ。

野党は、その大臣が辞任すれば問題が解決すると考えているのだろうか?あるいは、その人以外にその職に適切な人材がいくらでもいると考えているのだろうか?現在、その人が推進している事柄がすべて中断されてしまうことが与える影響や非効率性を考慮しているのだろうか?辞任に追い込むことにばかりエネルーギーと貴重な時間を費やし、その結果、何が得られるのかについての言及は無い。

過去の政治家や総理大臣の中には不穏当な発言や女性関係がとりざたされた人物は多い。初代総理大臣の伊藤博文は芸者遊びが過ぎて明治天皇にたしなめられたほどであったし、戦後では吉田茂の放言は何度も物議をかもした。しかし、それによって彼らの業績が色褪せることはない。

最近では安倍内閣で次々と辞任する大臣が出た。誰が辞任し、誰が新任だったかすら記憶に無いほどだ。しかし与党にしても、それほど安易に大臣を交代させるということは、指名するときにその人を能力本位で選んでいないということだろうし、能力に富んでいる、あるいは最適の人事だと確信するのであれば辞任要求など断固拒否すべきではなかったのか。そこに政治の馴れ合いを感じた人は多かったはずだ。

辞任が最良の責任の取り方だとは思わないし、本来の職責や能力と、それ以外の事柄とは切り離して考えなくてはならないのではないかとも思う。辞任要求などというものは、その人に明らかな能力の欠如や不適当な方針や指示があり、それにより国民が大きな不利益を蒙ることが明白な場合にのみ出されて然るべきものだろう。世の中に完璧な人などいないし、大臣になったからといって、その日からその省庁のすべてを末端に至るまで把握、指導できるものでもない。


国会で答弁するだけが大臣の役目ではない。各人の個性や考え方をもって最良と信じる方策を講じるのが大臣の役目だし、半年や1年でその結果を求めても、それは無理というものだ。少なくとも2年、3年と結果が出るまでじっくり待つのが筋というものだろう。皆さんだって突然、畑違いの会社の社長を命じられ、半年や1年で結果を出せと言われても、そりゃあ無理ですよ、って思わないだろうか?

すぐに辞任要求を出す側も、すぐに更迭する側も、いわば「どっちもどっち」だが、いずれもがそれによって国民が受ける利益や不利益を考慮しているとは到底思えない。それとも官僚がシッカリしているから大臣が誰であっても国民には何の影響も無いというのだろうか?もしそうだとしたら、我々国民にとってこれほど不幸なことはない。大臣であれ、総理大臣であれ、確固たる信念と強いリーダーシップがあってこそ、国民は政治の恩恵を受けることができるのだ。






<イージス艦事故>防衛相、航海長を当日聴取 説明で触れず
2月27日2時34分配信 毎日新聞


 千葉・野島崎沖で起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船「清徳丸」の衝突事故で、石破茂防衛相ら首脳4人が、第3管区海上保安本部(横浜)の事情聴取前に直接、大臣室であたごの航海長から事情を聴いていたことが分かった。航海長をヘリコプターで移送する際は「けが人を運ぶ」と海保から許可を受けていたが、航海長を一緒に連れていくことは伏せていた。航海長は事故前の当直士官で、事故前後の状況を詳細に知る人物。石破氏はこれまで、直接事情を聴いたことを説明しておらず、「密室」での首脳4人による捜査前の聴取は批判を招きそうだ。

 関係者によると、海上幕僚監部(東京都新宿区)は事故直後、現場からの情報不足から、あたごの幹部を海幕に呼び出し詳しく事情を聴くことを計画。神奈川・横須賀基地からあたごに到着したヘリが、事故6時間後の19日午前10時ごろ、航海長を乗せ海幕に向かった。この際「けがをした乗組員を搬送する」と海保から許可を得ていた。

 航海長は、海幕で約1時間にわたり事情を聴かれ、メモに従い「衝突2分前に緑の明かりを発見、1分前に漁船を見つけ全力後進で避けようとした」などと述べたとみられる。

 さらに、これとは別に大臣室で、石破氏のほか増田耕平・防衛事務次官、斎藤隆・統合幕僚長、吉川栄治・海上幕僚長の防衛省と自衛隊の4人が事情聴取していた。海幕による聴取と同様の説明をしたとみられる。航海士は午後2時半ごろ、再びヘリであたごに戻ったという。

 石破氏はこれまで、航海長からの聴取内容について、海幕から報告を受けたとだけ説明していた。また航海長の移送と聴取について、防衛省は「事前に海保の許可を得ていた」と説明していたが、3管は26日、「防衛省側から聴取の連絡を受けたのは聴取後だった」と発表した。

 海保の捜査段階で、海自が当事者から聴取することは、禁止はされていないが捜査妨害の恐れがある。冬柴鉄三国土交通相は、ヘリでの航海長移送が判明した26日午前の閣議後会見で「海上自衛隊にも内部的な調査権はあるにしても、私の方(海保側)の了解を得てやるのが法の仕組み」と不快感を示した。

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2008.02.20 (Wed)

手塚治虫、そして魂が宿った。





手塚治虫の『メトロポリス』を再現した作品をみました。

本作は手塚の思想をそのまま表現したとはいえない。
勿論、このメトロポリスそのものは49年に手塚が発表したマンガであり(なお『ロストワールド』『来るべき世界』とともに「初期SF三部作」の一つと言われている)、その作品のベースは置かれているが、本作が制作されたのが手塚の死後ということでもあり、監督にりんたろう、脚本に大友克洋を迎えての手塚に対するオマージュともいえる作品である。

制作時のコンセプトは「オリジナルのストーリーにとらわれることなく大胆に解体・再構成して、より手塚治虫的な世界を抽出」することにあったが、手塚がその才能に嫉妬したと告白した大友克洋の脚本という色の方が強く主張されているように思われる。

だが、この手塚の原作そのものも、ある海外映画の影響を受けて作られたことは周知の事実である。1926年にフリッツ・ラングが監督した「メトロポリス」である。無声映画最後の大作といってよいこの作品は、激動期にあるドイツの中でユダヤ人たるラングが、独裁権力や人心の荒廃に危惧を覚えていたことを警告したという意味でも、興業的には当時大失敗したとはいえその限りない独創性ばかりでなく、思想的意義として歴史的に高く評価されてよいと思われる作品である(一般観客として作品を鑑賞していたヒットラーは大変感動し、彼が政権をとった後、ラングの妻であり脚本家であったテア・フォン・ハルボウをナチス党員にし、ナチスの宣伝映画の制作を担当させた)。

この作品に対して、後日手塚がコメントを残している記録がある。
「・・・実際、資本家・特権階級と労働者階級とが、結局、愛で結ばれるという結末は、なんとしても安易過ぎ、それまでのさまざまな問題提起を一度にだめにしてしまう失点だったと言わざるを得ない。」

この発言は、原作や本作でどのように描かれ、手塚がどのような思想を志向していたのかを考える上では重要なコメントである。


ロボットの定義とは
1)ある程度自律的に何らかの自動作業を行う機械、
2)人に近い形および機能を持つ機械
であるとWikipediaは説明する。

そもそも、ロボットという言葉はチェコの小説家カレル・チャペックが書いた戯曲「R.U.R.」(1920)の中で使用されたのがはじまり(命名者は兄で画家であったヨゼフ・チャペック)で、それは「強制労働」を意味していた。

この後、40年代に欧米社会では重要な理論が発表されることになる。それは「ロボットが本来持つ本能」というものの定義で、SF作家アイザック・アジモフによって決められた「ロボット三原則」である。

それは以下のようなもので構成される。
1)ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。(A robot may not harm a human being, or, through inaction, allow a human being to come to harm.)
2)ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。(A robot must obey the orders given to it by the human beings, except where such orders would conflict with the First Law.)
3)ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。(A robot must protect its own existence, as long as such protection does not conflict the First or Second Law.)

これらの思考はどこから派生しているのか。多神教を国策として捨ててしまったローマ帝国以後の西洋社会に蔓延した唯一神信仰・キリスト教的世界観に他ならないであろう。

だが、このような考え方を変化させつつある、として日本アニメは大変な注目を浴びている。

手塚自身の「鉄腕アトム」もそうであるし、ドラえもんをはじめとする国産ロボットアニメが普及するや、その世界観や人格の設定に世界に衝撃をあたえた。

そもそも日本が2700年間磨き続けてきた精神性は、万物共生主義であり、どのような存在にも等価等質等量の命を認める。神もまた正義の絶対神ではなく、時には怨霊でもあり、時には幸神でもあるという多様性を見せる。いわしや天ぷら、牛の鼻輪などでさえも、神として祀る民族である。道端に咲いている草花にも命が宿ると考えたのは当然であろう。ロボットという問題と関連付けるならば、雛人形や日本人形、藁人形、人型などへの「依代思想」は発展し続ける科学にある程度の倫理性を付与させる抑止として日本では機能していたのではないだろうか。

ここにおいて、西洋社会と日本社会の「人間とはなにか、生命とは何を指すのか」という討論の議題があがると思うのである。

しかしながら、悲しいことにこのような精神性をもって世界をリードするべき日本のリーディング・カンパニーであるソニーはその自社ロボット製品に対して、先ほどのロボット三原則を応用してロボットの「人格規定」をなしている。

1)ロボットは人間に危害を加えてはならない。自分に危害を加えようとしている人間から逃げる事は出来るが反撃してはならない。
2)ロボットは原則として人間に対して注意と愛情を向けるが、ときに反抗的な態度をとる事も許される。
3) ロボットは原則として人間の愚痴を辛抱強く聞くが、時には憎まれ口を利く事も許される。
(出典:ソニー 「Three principle of robotics ・AIBOversion」より)

ロボットの原則を「ロボットが守るべき規則、ではない」という意見があるが、規則にしろ本能にしろ、それを創り、与えている「人間」の傲慢さはひとつの欠片もないのかと問いたい。

本作の中で「人権を侵害するから、ロボットには名を与えない」という台詞や「与えた職務機能によって、行動領域を制限する」という状況の説明がされているが、それらは地球に生息する生物に対して人類が万乗の君であるという傲慢な意識を促してはいないだろうか。


本作において、その「都市像」や「社会構造」の捉え方も非常に重要なポイントである。

科学技術の粋を結集して造られた富裕者層が住む地上世界と、スラム化しロボットが歩き回る地下世界は、あきらかに現代社会の都市フォーマルとインフォーマルを描いている。

トダロ・モデル(期待賃金によって適格労働力の動向が左右され、経済構造の3部門間の調整によって経済成長が展開される、という開発経済学の1理論)では開発途上国の方がインフォーマル部門(スラム街など)が大きく先進国ほどその規模が小さいと説明されるが、都市化が進んでいる国の方が経済成長率が高いとはいえ、内包しているインフォーマル部門の根源的問題は一層深刻化しているのではないか、ということを本作では訴えているように思えてならない。

またロボットという存在によって生活保障を奪われた人々の存在は、今後の日本の姿を想像できて面白い。高度経済成長を支えてきた産業ロボットなどではなくて、将来本当に人型ロボットと共生する時代が到来して、そのような問題が起きるのかもしれないし、直近で予想されることといえば、あのロボットを外人労働者ともみなせるのではないだろうか。

日本はぺティー・クラークの法則のように産業変化したのではなく、第2次・第3次共に成長し、インフォーマル部門を上手く社会が吸い上げ、労働力の二重構造も比較的世界諸外国と比べれば混乱なく経済成長出来てきた(勿論、横山源之助が「日本の下層社会」(1899)で書いたように、明治期においてはその人口流動からインフォーマル部門が急激に展開されたし、1925~60年の間にも種々の理由で二重構造の拡大が連続化されたのは歴史的事実である)わけであるけれども、構造(規制)改革下で社会変化をもたらしている現在、このような問題設定は大変意義深いように思える。

少なくとも、戦後すぐにこのような問題性を作品の中に取り込んでいた手塚はやはり天才であるのだろう。



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2008.02.19 (Tue)

近江八幡市民病院にみるPFI事業と政治決断

パブリックマーケット論の最終授業で話題にのぼったPFIによってつくられた近江八幡市の病院に対して興味がわいたので、この病院に関して文章をとめてみようかと考える。
契約期間が残っているのに、依頼者が受託者に対して突然一方的に契約を解除することは、常識としてはありえない。なぜなら、契約とは相互信頼の原則によって将来にわたる金銭の授受を保障するものであるからであり、相手側に余程の契約解除項目にふれる行為がないかぎり、これを解約するということはないからだ。
しかしながら、現実として市側と事業者側との契約解除の可能性が出てきた。
市政のトップである市長はなぜ「契約解除の可能性」という政治決断を示したのか。
PFIの事業性や近江八幡市の行政行為の経緯をおいながら考えていきたい。




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2008.02.05 (Tue)

社会資本論という授業の感想

紀元2世紀のギリシアの哲学者・アリスティデスの言葉を思い出す。

「かつて、ホメロスは謳った。大地はすべての人のものである、と。ローマは、詩人のこの夢を、現実にしたのである。あなた方ローマ人は、傘下に収めた土地のすべてを、測量し記録した。そしてその後で、河川には橋をかけ、平地はもちろんのこと山地にさえも街道を敷設し、帝国のどの地方に住まおうと、往き来が容易になるように整備したのである。しかもそのうえ、帝国全域の安全のための防衛体制を確立し、人種がちがおうと民族が異なろうと、共に生きていくに必要な法律を整備した。これらのことすべてによって、あなた方ローマ人は、ローマ市民でない人々にも、秩序ある安定した社会に生きることの重要さを教えたのであった」

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2008.02.04 (Mon)

早稲田大学院・公共経営論という授業の感想

公共経営論の最終授業日に受講者全員に質問された「なぜ地方自治は必要なのか?」という問いは大変面白い。ふだんよく気にもせず受け入れていた『民主主義の学校』といわれる地方自治がなぜ必要なのか、という考えは国民にとって行政とは何か、ということを再考するために必要な思考ツールであるように思える。

日本国内のみの話に限定したとしても、その地方自治に関する行政単位は都道府県から市町村長まで重層的構造をなしている。また、その規模も人口ひとつとっても様々だ。これらの自治体をひとつに議論するのも中々容易ではないため、今回は都道府県というものを中心にして考えたい。スポットをあてる対象は、直接選挙によって選出される“知事”とする。そして、知事制度史の観点から『地方自治の必要性』を考えてみたい。

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