2007年10月 / 09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Lancers.jp
--:--  |  スポンサー広告

2007.10.31 (Wed)

なぜ景気回復が家計の実感にあらわれないのか?

きのうは大学院の懇親会だったので、せっかくなのできょうはちょっとマジメな話。


(question)
戦後最長の景気上昇(景気回復)にも関わらず、なぜ家計に対してその実感が行き渡らないのか。


(idea)
2007年10月2日の日本経済新聞コラム『試練の景気持続』(記事:景気動向研究班)を読むと、ここ最近の景気上昇にもかかわらず、家計が「消費の数量調整」を行い始めたと指摘している。その原因として、定率減税の廃止、個人住民税の負担増などにより、サラリーマン世帯の可処分所得が減ったことをあげている。またあるゆる製品製造に必要な石油高や官僚組織の硬直化がもたらした国民年金への不安感なども、家計に対して影響をもたらしいていると指摘している。
他の新聞や専門家はどのように考えているのだろうか。
いくつか「実感なき景気拡大」というキーワードで調べてみた。
まずは2007年度の年次経済財政報告を読んでみる。このいわゆる経済財政白書によれば、現在の景気回復局面は戦後最長であるにもかかわらず、家計などが実感に乏しいのは「企業収益のばらつきや家計部門への波及の弱さも影響」していると分析している。現実として、大中堅規模の製造業の収益は大きく改善したのに、中小非製造業では改善が小幅で、最近は低下に転じている。「大企業だけ」といわれる現実がここにある。またいわゆる「バブル景気」の頃までは一人当たりの経常利益が増えるにしたがい賃金も増加したが、今回の景気回復期にあっては企業収益に見合った賃金の増加がみられないことが「家計の回復実感を阻害している」と指摘している。
大企業製造業は企業収益が回復し、02年から05年の3年間で株主に対する配当総額が約二2.3倍、一人当たりの役員給与・賞与は1.7倍と伸びたのに、従業員給与は横ばいだ。とくに06年後半以降の賃金の弱さの複合的要因として、依然として続く非正規雇用の増大や団塊世代退職者の増大などを白書はあげている。このような部分が政策的失敗だとして民主党や共産党に批判される部分なのであろう。
次に中央経済が景気回復期にあるとはいえ、まだまだ地方経済の体力は弱いものがあるとされている。地方政治で「シャッター街の復興」というテーマが必ず政治課題になるのは、その現実であるからだろう。地方がどのようにこの景気回復を考えているのか、「徳島新聞」を例にあげてみたい。
2007年01月07日の徳島新聞で『新年の日本経済 景気回復の実感を家計に』という社説が展開された。徳島県の実情を書いた部分を抜粋する。


地方経済を支える中小企業では業績の回復が遅れている。十分な政策面の配慮をしてもらいたい。
徳島県でも多くの企業が厳しい経営状況から抜け出していない。建設業界は公共工事の減少などから不振が続き、運送業界も荷主の値下げ圧力に原油高が加わって厳しい経営環境にある。相次ぐ大型小売店の出店で中心市街地の人通りは減少し、小売店は追い詰められている。
県民の多くが景気の回復を実感できないのも当然だろう。
ただ、経済団体の経済動向調査などによると、県内の景気は緩やかな回復傾向にある。先端技術で飛躍的に業績を伸ばすメーカーなどが経済のけん引役となって、徳島の企業活動は一歩一歩、改善に向かっているようだ。
徳島経済研究所の調査では、県内主要企業の今春の新卒採用予定者数は前年比18・1%増と、三年ぶりに増加に転じた。団塊世代の大量退職に伴う補充のほか、営業・販売部門の強化を目指す動きも現れた。
徳島財務事務所の最近の調査では、県内にある企業は利益配分で設備投資を最も優先しており、内部留保、新製品・技術などの研究開発、有利子負債削減と続く。従業員への還元はその次にとどまっている。
企業も個人消費を誘発するような優れた製品・サービス開発に取り組む一方で、従業員に利益を配分して、消費拡大を促してほしい。
徳島経済を取り巻く環境はまだまだ厳しいが、地方の経営者も創意工夫によって企業の活性化を図り、希望の持てる年にしたい。


政府や新聞ではなく、総合研究所のような分析を専門とする会社の研究員はどのように考えているのか。ひとつ面白いコラムを見つけたので紹介したい。2007年10月12日の双日総合研究所・溜池通信vol.374に『経済成長と景気実感の断層』というコラム(記事:吉崎達彦)の内容を抜粋してみる。


9 月28 日、日経センター朝食会で行われた福井俊彦・日銀総裁の講演会を聞きに行った。総じて「単体としての日本経済は良いけれども、米国経済と金融資本市場を考慮しなければならない」というトーンであった。日本経済は前向きの好循環が続いており、内需と外需のバランスが良い。設備投資のマイナスは一時的であると考えられる。個人消費は、派手さはないものの底堅い。ただし景況感には脆弱性がある、という評価であった。面白い表現だな、と感じたのは、「企業から家計へという景気波及のメカニズムに、エンジンブレーキが利いている」という発言である。2000 年のゼロ金利解除の際、日銀は「川上」(企業部門)から「川下」(家計部門)にはかならず水が流れるはず、という「ダム論」を展開した。今回の景気回復局面においても、2005 年ぐらいからそういう状態が続いている。企業収益というダムの水は満杯なのに、家計部門にはあまり水が流れて来ない。本来であれば、雇用、配当、設備投資といった形で、企業のカネは放出されるはずである。
中でも本命は「雇用の回復」である。実際にデータを見る限り、雇用状況は改善している。失業率はすでに3%台にまで低下している。労賃の伸び悩みが報告されているが、これは団塊世代が定年後も再雇用されているためで、新規採用はバブル期を超える過熱ぶりである。「それなのに個人消費が奮わないのはなぜか」が、現下の最大の疑問である。

この文脈でよく引用されるのは、「雇用者数は史上最高の水準(5540 万人:今年4 月)」というデータである。
労働人口調査(季節調整済み)で、2007 年7 月と2005 年7 月の数値を比較してみると、労働力人口が微減(6654 万人から6646 万人)している中で、雇用者数は5384 万人から5514万人へと130 万人も増えている。少子高齢化で労働力供給が頭打ちとなっているのに、定収のある雇用者がこれだけ増えているのであるから、たとえ非正規社員やパートが多いにせよ、個人消費にとってはプラスになるはずである。
ただし気をつけねばならないのは、この間の就業者数は49 万人の増加に留まっており、この2 年間で自営業者が81万人も減少しているのである。過去2 年間における農林業就業者数の減少は12 万人に過ぎないので、その多くは個人経営の商店業などではないかと推察できる。


〇労働力人口調査
          2005年7月     2007年7月    差
労働力人口     6654万人      6646万人    -8万人
完全失業者     292万人      236万人     -56万人
就業者数      6360万人      6409万人    +49万人
雇用者数      5384万人      5514万人    +130万人
自営業者      976万人      895万人     -81万人

察するに、商店街の小さな「パパママ・ストア」が閉店し、代わりに近所のコンビニなどに働きに出ているようなケースが多いのだろう。これでは雇用者数の増加を、手放しで喜ぶわけにはいかない。自前で店を切り盛りしている自営業者の方が、毎月、決まった金額を受け取るだけの雇用者よりも、消費性向は高いと見ることが自然だからだ。
卑近な例を挙げると、筆者の自宅の近所では、個人経営のクリーニング屋が閉店し、代わりにチェーン店のクリーニング屋が開店した。2 つの店の「おばちゃん」を比較すると、能力と士気は著しく違う。自分の店を経営する「おばちゃん」は、顧客情報を完全に把握していたが、時給いくらで店番を任かされている「おばちゃん」は、毎週通う客の顔さえ覚えてくれない。「自営業者」が「雇用者」に転じると、得てしてこんな風に能率の低下が生じるのである。かつて日本の高齢者は、農業や商店業を中心に諸外国に比べて就業率が高かった。つまり、「自営業者が多いことが、社会のセーフティネット」になっていた。しかし、高齢化の進展や地方経済の低迷、さらに農産品価格の低下などに伴い、自営業を続けられないケースが増えている。日本経済が本調子であるならば、むしろ雇用者が独立して自営業者(自己雇用者)が増えるような動きが出てこなければならない。若者がリスクを回避し、「寄らば大樹」志向を強めている現状を見ていると、「雇用者増が個人消費につながる」とは、単純に考えない方が良さそうに思える。

さて、上記のような「パパママ・ストアの閉店」という現象は、「地方都市におけるシャッター通り」という形で、全国の至るところで起きている。その背景には、少子・高齢化の進展や、経済のソフト・サービス化、あるいはモータリゼーションによる消費行動の変化といった社会変容のトレンドがある。
政策面で言えば、1995 年に「規制緩和推進計画」が打ち出した「経済的規制は原則自由・例外規制、社会的規制は必要最小限」という方針により、「大店法」こと大規模小売店舗法が見直しの対象となったことも影響している。地方への大型店舗の進出が、地元商店街の衰退をもたらすという構図だが、1998 年のまちづくり3 法、2006 年の改正においては、その軌道修正が図られている。
さらにミクロな面で言えば、商店街の内部の調整という問題がある。実際にシャッター通りを歩いてみると分かることだが、商売を止めてしまった店舗では、引退した人たちがそのまま住んでいることが多い。彼らは新しい仕事を始めるつもりはなく、後は年金暮らしで良いと考えている。かくして店のシャッターは、2 度と上がる予定がない。他の商店にとっては、こんなに迷惑な話はない。喩えていえば、ウーロン茶を買うために自動販売機の前に行ったら、コーラが売切れだったようなものである。ウーロン茶を買うためには、何の不都合もないけれども、売り切れボタンが放置されているような自動販売機は、他の商品も同様と見なされてしまう。そこで消費者は、ウーロン茶は別の場所で買おうと考える。なぜなら自動販売機は、ほかにいくらでもあるのだから。
犯罪心理学に、「破れ窓理論」という概念がある。割れた窓を放置しておくと、「誰も気にしていない」というサインになり、軽犯罪が起こりやすくなる。やがて住民が秩序維持に協力しなくなり、凶悪犯罪が生じるようになる。だから、割れた窓は放置してはいけないという理屈である。
シャッター通りも同じことが当てはまる。串の歯が欠けたような商店街では、消費者は買い物をしたくない。だから営業を止める店舗があれば、なるべく早く次の商売を始めなければならない。そうしないと、通り全体が衰退してしまう。寂れた商店街に活気を取り戻すためには、空いた場所で別の人に、新しい商売を始めてもらう必要がある。ところが、古くからの仲間に向かって「立ち退いてくれ」と言いにくい。せめて「店舗を貸してくれ」と頼みに行くと、高いテナント料を請求されたりする。そもそも彼らは、年金も出るし蓄えもあるので、食うには困っていないのである。要するに商店街は、一度シャッター通りになってしまうとそこから抜け出すことが難しい。たとえ地方都市の景気が本格的に回復したとしても、別の繁華街が潤うだけであろう。結果として、「景気回復が実感できない」人たちが増えてしまうのである。


このコラムは大変おもしろかった。雇用者増だけが個人消費につながるのではなく、健全な基盤が強い自営業者の増加こそがなによりも政策的に個人消費を強くしていく、という論はかなり説得力があるように思える。事実、日本の新規設立企業数は減少の一途をたどっている。起業率が右肩下がりで推移している一方で、上場企業の倒産がワースト記録を更新するのは必至であるように、廃業率が上昇カーブを描いているわけだ。これは日本の産業が先細っている何よりの証拠になる。古い血と新しい血の交代、という新陳代謝が健全になされなければ社会は硬直化していくのは当然だ。税制の問題や物価の実質的上昇だけではなく、産業構造の問題にも、実は個人消費の伸びの鈍化の原因があるのかもしれない。
Lancers.jp
スポンサーサイト
14:07  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2007.10.24 (Wed)

米兵と少女、やはりどちらも問題だ。

10月21日20時16分配信の産経新聞記事。
“「盛り場うろつくのどうか」 米兵集団暴行で広島県知事”

山口県岩国市の米海兵隊岩国基地所属の海兵隊員4人が広島市内で10代後半の日本人女性に集団で乱暴したとされる事件を受けて、広島県の藤田雄山知事が「盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」などと発言していたことが21日、分かった。
県によると、藤田知事は20日に広島市内で開かれた「日本女性会議2007ひろしま」でのあいさつで、「朝の3時ごろまで盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思うが、米兵による暴行事件が起きた。誠に遺憾で強く抗議したい」と述べた。
藤田知事は「本意は犯罪に遭わないためのリスク管理について、一般論として言及しようとした。事件が事実であれば、その原因は当然加害者側にある」と説明している。


問題は3つあるのだろうと思う。
1)軍規律だけでなく、犯罪を犯す在日米軍兵の存在の続出を今後の日米同盟の課題の中でいかに対処していくのか。
2)未成年が深夜遅くまで遊戯場で遊んでいるのは教育上の問題ではないのか。
3)藤田知事の発言は政治家として妥当であるのか。

前提として日米同盟は、日本の安全保障政策上、必要なものであり、この存在を否定しないということをいっておきたい。でなければ、この問題に関しては、思想上の感情論にしか展開されないと思うからだ。
在日米軍に関しては、日本とアメリカの間で「日米地位協定」というものがある。正確にいえば、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」というものだ。
施設の借地契約や原状回復義務に関して多くの問題が指摘されているが、おそらく一番の問題は米軍兵の犯罪に対してその裁判権が優先的にアメリカに属している、という点であろうと思う。
もちろん、米軍施設内および米軍隊内同士の犯罪であれば、それは米軍の軍法に従うべきだろう。しかし、日本の法治下で犯罪が起きても米軍が先に被疑者を拘束されれば、その身柄引き渡しが検察による起訴されたあとでなければなされない、という問題がある。
これは犯罪が多発している米軍基地周辺の住民からすれば、感情として決して許せない場合が多いかも知れない。
ボクは決してアメリカとの同盟を解消しろ、とかいうつもりはない。アメリカの主権を否定しろ、とも言わない。だが、米軍施設外で犯罪が起きた場合は、ただちに日本の捜査当局に被疑者の身柄を引き渡されなければならないと思う。少なくともそのように努力するのが、同盟のあり方だと思う。同盟国内での軍のあり方は、アメリカの統一軍事裁判法を超えるべきものがあってよいのではないだろうか。このような犯罪が起こった場合、ただちに日米合同の軍法会議が開催され、その決定が一国の軍法会議を超える、というものに変えてはどうだろう。
同盟とは、そういうのではないのだろうか。

2)、3)に関しては多くを語っても仕方のないことかもしれない。
ここで少女の責任に言及すれば、きっと犯罪被害を否定するつもりか、と指摘されるだろう。
しかし、知事が指摘していることは事実だと思うし、現在の青少年の教育政策が(倫理や道徳も含めて)崩壊しきっていることは誰の目にもあきらかだろう。
だが、あえて言わせていただければ、このような時間に未成年を店内に入場させた店側の問題もあるし、青少年に多くの責任があると思われる。
米軍兵の犯罪内容と少女の行動責任の問題は別にして考えるべきだ。

この事件は二重の意味で日本の崩壊を予見してしまう。
Lancers.jp
18:12  |  【 想う日本のこと 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。