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2011.10.25 (Tue)

韓国で見たこと。考えたこと。 1



10月16日から23日まで、早稲田大学と高麗大学の交換留学プログラムに参加し、研究発表を行ってきました。高麗大学はとてもきれいな大学でした。イギリス風というか、ホグワーツ魔法学校みたいでした(笑)。ただ、山の上にありますから、坂が多い…き、きつかったです(。・ω・。)。



韓国のヒト達は英語が上手だと聞いていましたが、まさしくその通りでした。
明らかに、交流した大学院生たちは皆、留学経験があると思いました。
授業にも参加させてもらいましたが、授業はぜんぶ英語。ぼくは教育心理学のモチベーションの授業に参加させてもらいましたが、『なんとなく分かるなぁ』という程度で、自分の英会話のレベルの低さに笑ってしまいました。



ただ1点。

この英語力の凄さは一部だけだということも理解できました。街中にでると、警察官とかも英語は話せないし、意外に英語表記が少なすぎることに気づかされます。日本人の観光客が多いからなのか、日本語の表記などもありました。

結局、この韓国という国は社会格差が激しい国であることが分かりました。お金があれば留学ができ、そのまま社会の成功者になってゆく。英語偏重の教育がそれをさらに助長させているように思えました。



英語教育は大切です。しかし、それは必要論ではあって、日本においては絶対論ではないように思えます。明らかに、自国文化が廃るきっかけを作り、社会格差を構造化・硬直化させている。授業などを英語のみにするのはいいと思いますが、もっと思索深い能力を発揮できるような母国語教育を大切にしないと、国や社会は崩壊していくと思いました。語学教育が先行しすぎていて、『独創性』や『発想性』が低いと感じたからです。

高麗大学は1905年に創立されました。創立者は早稲田留学組で、長年、早稲田と交流があります。その学校のシンボルは【虎】で、韓国を背負う気概を読み取ることができます。中央図書館は、早稲田のほうが立派だなと思いました。



高麗大学内を歩いていると、行政学者の飯尾潤先生も来校していることを知りました。コロキウムで、『野田政権の行方』を話されるようでした。国内最高峰の行政学者の講演を、ぼくも聞きたいなと思いました。

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2011.08.28 (Sun)

そうだ、柴又に行こう 3



最後に、柴又帝釈天を参拝しに行きました。

柴又帝釈天は日蓮宗のお寺で、正式名称は『経栄山 題経寺』と言います。



このお寺には、日蓮がみずから刻んだと言われる帝釈天の板本尊が安置されていると言われます。天明の大飢饉の頃、住職の亨貞院日敬がこの帝釈天を背負いながら、江戸の町を練り歩いて信仰を説いたそうです。柴又帝釈天の発展はその頃からといわれています。

広い敷地の中では、猿まわしが催されていたり、地域住民の憩いの場となっていました。



帝釈天前から駅まで参道が続いており、観光名所となっています。

ぜひ、名物の草団子を買って、ゆっくり柴又の町を歩いてみてくださいね☆

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2011.08.25 (Thu)

そうだ、柴又に行こう 2



矢切の渡しの手前には、カメラ部品を製造していた山本家が所有していた屋敷である『山本亭』があります。

1991年から葛飾区の所有物として一般公開されています。



100円で観覧することができます。

長屋門の形式をとりながら、洋風のデザインを採っている門を通り抜け、旧玄関から入っていきました。



和洋折衷の建物と、純和風の庭園が有名です。その庭園は、アメリカの日本庭園専門誌『JOURNAL OF JAPANESE GARDENING』のランキング調査で、2004年~2007年まで3位にランクされていました。



居宅部分はいま喫茶ルームとなっており、日本庭園をみながら、お茶菓子などを食べることができます。



山本亭を出ると、『男はつらいよ』に出てくるセリフが、看板となって、羅列的に掲示されていました。

寅さんという観光資源に誇りをもって町づくりが行われていることを改めて確認することができました。

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2011.08.22 (Mon)

そうだ、柴又に行こう 1



今回は柴又に行ってきました。そう、あの映画『男はつらいよ』の舞台になった下町情緒豊かな町です。

京成電鉄金町線の駅のひとつである柴又駅は、改装時に山田洋二監督の意見もあって、純和風の駅となりました。



駅前には『寅さん』の銅像がたっています。



柴又帝釈天を中心につくられた町で、その門前町が有名ですが、まずは対岸の千葉県松戸市・矢切地区とを結ぶ渡し舟『矢切の渡し』を体験しに行くことにしました。



駅から徒歩15分もすれば、松戸と柴又の真ん中を流れる江戸川にたどり着きます。

片道100円で渡し舟に乗ることができます。小さな船で、前日に雨が降っていたので、川の水量も増水していて、ちょっと怖かったです。。。

だけど、なかなかできない体験でした☆




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17:55  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2011.08.19 (Fri)

そうだ、沖縄へ行こう 08



首里城を見学した後、沖縄県立博物館・美術館を見学してきました。
とてもきれいな施設で、大きな満足感がありました。



とてもきれいな施設で、大きな満足感がありました。
沖縄の『日本史』に関する歴史観が知りたいと思い、足を運びました。



古代においては日本との連帯性が語られ、近世・近代においては琉球王朝の独立が語られる、そして敗戦・復帰へという構図でした。以前、見学した千葉県佐倉市の国立民俗博物館とは違い、あまり感情論に走るような展示はなかったと思います。


沖縄問題がクローズアップされながら、あまり沖縄の歴史を知らないのが、多くの日本人ですから、修学旅行であれ、カップルの旅行であれ、ここは訪ねたほうがいいと思います。十分に楽しめることをお約束します。



博物館の帰りには、DFSギャラリアに行ってきました。ブランド品など関税が免税されているショッピングモールです。沖縄ショッピングの大きな魅力でもあります。

この免税制度を、特定免税店制度といい、国内産業保護の観点から、沖縄の振興だけに施行されているシステムだと言えます。

ぼくは、この制度は沖縄だけでなく、日本全国に認めていいのではないかと思っています。沖縄は経済特区ももち、この制度でインバウンド戦略を有していますが、果たして沖縄だけの特徴ある制度でいいのか疑問です。むしろ、全国的にその配置を展開することにより、日本全体のインバウンド戦略へと転換していったほうがいいと思います。

一時的な観光戦略でいまの沖縄経済を維持するより、持続ある成長戦略を描くべきではないでしょうか。これまでの金融特区・IT特区などの活用だけでなく、教育知の集積や、全島的な交通インフラ整備を急ぐべきだと思います。都市基盤の整備をはからなければ、流動性が確保されないのですから、経済成長も人口増加もないはずです。



最後の写真は、那覇空港の1枚です♪。

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16:55  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2011.08.15 (Mon)

そうだ、沖縄へ行こう! 06。



首里城正殿がある御庭(うなー)に入ると、右側に「番所」と「南殿」があります。
ここは、日本本土的な儀式を行うところで、日本的建築の二階建てになっています。
いまは、琉球王朝の歴史や漆器・絵画などの美術品が展示されています。

そして、南殿を抜けて、「正殿」に入ることになります。
百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)と呼ばれ、沖縄最大の木造建築物だそうです。
二層三階建ての建物になっていました。
一階を「下庫理(しちゃぐい)」、二階を「大庫理(うふぐい)」と呼び、写真は二階をうつしたものになります。

写真でお分かりになると思いますが、琉球国王が座る玉座になります。
御差床(うさすか)と呼ばれる空間になります。
龍や金など、大陸王朝風というか、まぁ、派手です。
観光客と思われる中国人の団体は、盛り上がっていましたwww

玉座の後ろにある額をみれば、そういう話になると思います。
なぜなら、後ろの「中山世土」という扁額は、清の康煕帝が書いたものを再現したものだそうです。
その康熙帝が、「琉球は永遠に中山(琉球王)が支配する」と証明したものなのですから、沖縄接収論を唱える現在の大陸中国人の方々からすれば、とても嬉しい内容のものなのではないでしょうか。



資料として、王冠のレプリカなども展示してありました。



正殿を出ると、南殿の真向かいである「北殿」に入ります。
ここは昔、琉球王朝の官僚の人たちが働いていた場所です。
いまは、資料館とお土産屋さんになっています。
首里城の模型とかも置いてました。

この模型は、首里城の御庭を説明しやすいな、と思いました。
首里城の真ん中にある紅い道がありますが、この中央の道は「浮道」と言います。
国王や大陸からの使節しか通れなかったそうです。
だから、家臣たちはここを通れない。
そういうのがよく分かる模型かな、と思いました。

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00:19  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2011.08.14 (Sun)

そうだ、沖縄へ行こう! 05。



モノレールの終着点は、首里城駅になります。
ぼくは、少し歩きたいなと思って、首里城の手前にある儀保駅で降りてみました。
しかし、これが間違いでした。
迷って迷って・・・、本来なら徒歩15分ほどで到着するはずが、倍の30分以上かかってしまったような気がします(-_-;)。

首里城についた頃には少し小雨が降り始めていました。
手前の休憩センターのお土産屋さんで、傘を買いました。

守礼門は、第二尚氏による琉球王朝の4代目尚清王(在位1527~1555)の時に建てられたそうです。
1530年頃といえば、上杉謙信が生まれた年ですね。戦国時代の英雄たちが、きら星のごとく登場する時代ですね。
戦国時代に、琉球王朝と日本本土はどんな交流をしていたのでしょうね。



日本の城郭と違い、防戦を主目的としていないと聞いていましたが、意外に、階段が長かったり、いやいや、僕は攻めれないな(笑)、と思いました。城壁全体が結構大きい気がしました。



首里城から。市内が見渡せます。
夜景とかきれいだろうなぁ、と思いました。



首里城は、政治の中心地なだけでなく、宗教的な聖地でもあります。
その儀礼施設のひとつが、この写真にある首里森御嶽です。
沖縄や琉球、またこの北緯30度以南地域の宗教文化に関しては、僕もまだ勉強不足なので、これから少しずつ色々と本を読んだり、訪ねたりして勉強してみたいと思います。民俗風習というのは、とても興味があります。都や八重山、奄美とかそういう地域的なことを考えると、沖縄地域や琉球地域のひとつの宗教文化という風にひとつに括ることはできない気がするので。



首里城は何度か火に包まれるという事件がおきていますが、大きな転換点は、第二次世界大戦でした。
沖縄決戦により、首里城は焼失しました。
また、戦後にも、この跡地に琉球大学が設立され、かなりの城郭遺構や街並みが破壊されてしまったようです。

本格的な復旧作業は、沖縄が日本に復帰してからです。そして、やっと2000年に「首里城跡」として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されました。
旅行した時も、なにか修復作業をしていたようです。

ぼくは、森総理の沖縄サミットでのイメージが強く残っています。
あの時の中継は、ライトアップがきれいだったなぁ、と覚えています。
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22:48  |  【 こんな処に行ってきました 】  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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